日本の将来と国立大学の役割 >> 知的基盤としての国立大学 − その飛躍のために
知的基盤としての国立大学 − その飛躍のために

● 政府の高等教育支出は国際水準以下

まず認識しておかねばならないのは、日本の政府高等教育費支出は、GNP比にすれば、先進各国中で最低の水準にあるという点である(左図)。
 日本の大学の「非効率」が往々にして批判されるが、このような政府支出水準にもかかわらず、前述のように日本の国立大学は、急速にその学術的なアウトプットを増大させ、先進各国の主要大学と肩を並べる水準にまで達している。こうした点からみれば、逆に日本の国立大学の経済効率性は相対的に高いといわねばならない。
 学術水準のさらなる高度化には、一層の資源、とくに資金投入が必要であり、単なる制度変更のみによって目先の「効率性」を高めることは不可能である。

図表4-1 政府の高等教育支出 − 対GNP比率


● 国立大学の柔軟化は進んでいる

 国立大学と社会や企業との関係は、ここ十年ほどの間に大きく変化しつつある。
 国立大学に対する、企業などからの援助である「奨学寄付金」はここ数年、長引く不況の中で停滞している(右図)。しかし、政府あるいは企業などからの「委託研究」の金額は大きく拡大した。国立大学が受け入れた資金の総額は840億円(平成10年度)に達しており、私立大学へのそれ(平成10年度300億円ー治療検査費を含む)を大きく上回っている。
 これは企業の、国立大学のもつ知的資源と活力に対する期待の大きさを示すものといえよう。国立大学の側も、企業や社会と協力し、そのニードに積極的に応えようとする姿勢が急速に浸透しつつある。

 

 

図表4-2 国立大学への民間からの資金の増加

 


● 知的基盤としての国立大学 − その飛躍のために
 日本の高等教育の特徴は、国立と公立、私立の大学が並存して、それぞれに特質を活かしてきた点にある。その中で国立大学は、研究開発、人材の育成、そして教育機会の均等を通じて、日本社会と経済の知的な基盤を構築してきた。上のデータはそのことを物語る。

 グローバル化の中で、日本社会が思い切った構造改革に取り組まなければならないことはいうまでもない。しかしそれが、平衡感覚を欠いたまま、断片的な印象にもとづく性急な制度変更に結びつくのであれば、国立大学が多額の資金を受け入れつつ営々として作り上げてきた、日本の社会と経済を支える知的基盤の喪失をもたらす危険性が大きいのである。
 

 

 もちろんそれは国立大学が変化しなくて良いということを意味するのではない。日本の経済と社会の知的基盤をなすという、まさにそのこと自体が、国立大学が社会の急速な変化に応じ、あるいはそれをリードして、自らを大きく変革を遂げていく責務を負っていることを意味する。そうした自覚の不足が批判されているとすれば、それを謙虚に受け止めることは国民の支持なしには成り立たない国立大学の当然の義務である。

  しかしそうした変革を進めるためにも、いま必要とされているのは、国立大学の現実を冷静に見据え、必要な改革を着実に実行していくことである。そのためにも国立大学は国民のさらなる理解と強固な支援を必要としている。そしてそれこそが日本の社会と経済のもつ可能性を開花させる、もっとも確実な道であることを広く国民に訴えたい。

資料出所:図表4-1はOECD、Education At a Glance 2000,
図表4-2は文部科学省しらべ


このパンフレットは各種のデータをもとに、国立大学協会第8常置委員会が編集したものです。


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