はしがき

 
 今日、学校教育は、いじめ、不登校、学級崩壊、薬物問題、さらには学力低下の問題等、にわかには解決しがたいさまざまな課題に直面している。教育問題がこれほど広く社会的な問題となり、教員の資質向上が大きな社会的要請となった時代はなかったと言っても過言ではない。問題が集約的に学校教育に現れてはいるが、それが急激な社会の変化、社会構造の変質に深く根ざしていることは明らかである。第15期中央教育審議会は「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の第1次答申(平成8年7月)において、国際化・情報化の進展、環境問題の深刻化といった状況を踏まえ、「ゆとり」のなかで「生きる力」を育むことを基本とする方向にわが国の教育を転換すべきことを提言した。その後、中央教育審議会、教育課程審議会、大学審議会、教育職員養成審議会等、教育問題にかかわる主要な審議会が相次いで答申を出し、初等教育から高等教育まで、21世紀へ向けて、その在り方についてさまざまな提言を行っている。
 学校・家庭・地域社会の連携のなかで「幼児期からの心の教育」を大切にし、ゆとりのなかで生きる力を育むという今後の学校教育の基本的な方向を実現していく具体的な方策が、平成14年度からの学校5日制の完全実施であり、新学習指導要領に基づく新しい教育課程であり、あるいは中高一貫教育の選択的導入である。新教育課程では、「総合的な学習の時間」に大きな期待がかけられている。こうした学校教育の改革の成否は、実際に学校教育に携わる教員の力量、とりわけみずから学習内容・方法を創造する教員の能力によるところが大きく、したがって教育系大学・学部においても、そうした資質能力を備えた人材を育てるよう教員養成カリキュラムの改善・工夫が求められている。教育職員養成審議会の「新たな時代に向けた教員養成の改善方策について」の第1次答申(平成9年7月)を受けて、教育職員免許法が改正され(平成10年7月)、教職科目を重視した新しい基準に基づく教員養成カリキュラムが、早いところは平成11年度から、平成12年度からは教員養成を行うすべての大学で実施されることになっている。また、教育職員養成審議会の第2次答申「修士課程を積極的に活用した教員養成の在り方について・・現職教員の再教育の推進・・」(平成10年10月)は、現職教員の資質能力の一層の向上のために、学部卒業後一定期間の教職経験を経た現職教員の大学院における研修機会の拡大を提言している。大学院修士課程に昼夜開講コースや夜間大学を開設している大学、あるいは開設を計画している大学が次第に増えている。
 一方、少子化に伴う教員需要の低下を背景に、昭和62年度から教育学部のなかに免許状の取得を卒業要件としない新課程が設置され始めていたが、少子化と教員需要の低下はその後さらに進み、政府の財政構造改革の一環として、平成10年度から12年度までの3年間に、全国の国立教育系大学・学部の教員養成課程の入学定員を3分の1、約5,000人(実数は4,745人となる)削減する計画が進行して、昭和61年度には20,100人、平成9年度に14,515人であった入学定員が、平成12度からは9,770人となる。このいわゆる5,000人削減問題は、他学部への振替を含めて全国で200名を超える教育系大学・学部の教官定員の削減を伴っており、また、学部改組の結果、学部内における教員養成課程と新課程の入学定員の比率についても、7大学(秋田大学、新潟大学、鳥取大学、山口大学、佐賀大学、大分大学、宮崎大学)において新課程が教員養成課程を上まわり、5大学(横浜国立大学、山梨大学、三重大学、和歌山大学、島根大学)において両者が等しくなっている。さらにこの間、9大学において学部名称の変更が行われた。教育文化学部(秋田大学、宮崎大学)、教育人間科学部(横浜国立大学、山梨大学、新潟大学)、教育地域科学部(福井大学、鳥取大学)、文化教育学部(佐賀大学)、教育福祉科学部(大分大学)の5つの新学部がそれである。福井大学は学部名称を変更しているが、教員養成課程の入学定員が新課程のそれを上まわっており、山口大学は教育学部の名称を残しながら、新課程の定員の方が大きい。教育学部と学校教育学部を統合再編して新しい教育学部をつくる広島大学を別にすると、新課程を置かない3つの新教育大学(上越教育大学、兵庫教育大学、鳴門教育大学)とともに、群馬大学が新課程を置いていないことも際立っている。
 こうして、これまでは教育学部として基本的にその目的を同じくしてきた教育系大学・学部が、今回の学部改組・再編を経て、その目指すべきところは、今後次第に個性化し、全体として多様化していくと思われる。この個性化・多様化を前提にし、さらに国立大学の独立行政法人化が現実化し始めるなかで、今後、教育系大学・学部が教員養成をどのように行っていくかは、わが国の今後の学校教育の在り方を見通し、そのための教員養成の在り方をわれわれがみずから構想し、提言することとともに、教員養成課程を有する大学・学部にとって重大な課題となる。
 この報告書は、5,000人削減問題が進行するなかで、木下繁彌前大阪教育大学長が教員養成特別委員会の委員長を務めておられたときに進められた調査と、平成11年3月に刊行されたその第一次報告書を承けた本報告書である。この調査の趣旨については、木下前委員長が第一次報告書前文で次のとおり述べておられる。
 
 ……本委員会としては、教育改革とこれに対応する教員養成・現職教育のあり方について、各大学・学部の真剣な検討が進められつつある過程をふまえて、将来の教員養成と教育学部等のあり方を、全国的な見地から、あらためて問い進める必要を痛感し、現在の状況と問題についての基礎調査を行うとともに、それを基礎に引き続いて、教員養成と教育学部等のあり方についての審議検討を進めることとした。
  
 そのために、平成10年11月、国立の教員養成大学・学部については、学部長に、またすべての国立大学の学長に宛てて、次の三点についての基礎調査を行った。
 第一に、国立の教員養成大学・学部等の改組・改編がどのように進められてきたか、あるいはどのように再編されようとしているか、新課程をどう評価するか、附属学校の位置づけはどうか、さらに今後どのようなあり方が可能であるかなどについて、現状と意見について尋ねた。
 第二に、昭和63年に免許法が改定されて10年を経過したが、前回改定による成果や問題点が、なお十分に吟味されてこなかったこともあり、その点をふまえつつ、今回の免許法改定にどのように対応しようとしているか、新しい制度をどのように受け止めているか、実施についてどのような問題があるか、介護等体験についてはどのように対応しているか、課程認定のあり方や教員の資質向上のあり方についてはどうか等について尋ねた。
 第三に、大学院修士課程の教員養成における役割や、そのあり方についての全般的な事項と、教育職員養成審議会第二次答申に基づいて、「とくに高度専門職業人のための、1年課程の特化された修士大学院」への対応等について尋ねた。
  
 以上が、本調査の趣旨と内容である。なお、そこでも触れられているように、「教員養成と大学院の役割について」のアンケート項目に、高度専門職業人のための「1年課程に特化された修士大学院」に関する設問(問5)がある。これは、大学審議会の答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」(平成10年10月)において、「高度専門職業人養成に特化した実践的教育を行う大学院の設置促進」が提言され、併行して提言されていた「修士課程1年制コース」をこの特化した修士課程に適用するか否かが検討課題であった時点で立てられた問であった。その後、大学院設置基準が改正されて、高度専門職業人養成に特化した修士課程が「専門大学院」として制度化され、専門大学院には「標準修業年限を一年以上二年未満の期間とすることができる」規定を適用しないことが明記された。したがって、上記設問は直接的には意味を失っているが、この問を契機に、修士課程における教育方法等に関する学長・学部長の基本的な考え方が示されているので、最終報告書においても、問と分析結果をそのまま残すこととした。この部分については、そのことを前提に、参考資料としてお読みいただきたい。
 
 国立大学は、これまでわが国の高等教育・学術研究の推進に中心的な役割を果たしてきたが、同時にまた、初等中等教育学校の教員養成を通して、学術・文化の発展を担う国民の基礎教育と人間形成にも大きな役割を果たしてきた。教育の質の向上と教員養成の改善は、21世紀の世界的な課題であり、1998(平成10)年10月にユネスコ高等教育世界会議が採択した世界宣言「21世紀の高等教育・・展望と行動」は、「社会全体の持続可能な発展・改善に貢献する」ことを高等教育の重要な使命としつつ、「高等教育はわけても教師教育の改善、カリキュラム開発、教育研究を通して、教育システム全体の発展に貢献すべきこと」を主張している。わが国が教育立国を目指す以上、国がこれまで国立の教育系大学・学部および一般学部において行ってきた教員養成、とりわけ義務教育学校の中核的な教員の養成は、より一層の改善をはかりつつ、今後も公的資金の投入によって維持・推進されなければならない。教育系学部はまた、それに応えるべき重大な責務を負っている。
 平成12年度には、教育系学部における教員養成課程と新課程の学生比率は6:4に近づいている。教員養成学部は、その性格上、基礎になる学問領域が広領域にわたるため、他の学部に比べ、学生数に対してより厚い教官配置が必要であり、それによって可能になる学際的・総合的な教育研究機能が新課程の基盤となっている。同一学部のなかに学際的・総合的な教育研究体制を柔軟に生み出すことができることは、教育系学部の大きな特徴であり、すでに10年以上にわたって新しい人材養成に実績をあげ、教員養成とともに、地域の高等教育の機会を拡大し、地域の教育・文化の向上に貢献してきている。今後ますます進む生涯学習社会にあって、教育系学部は新課程における人材養成を通じて、その生涯学習体系のなかで独自の役割を担うことができる。新課程には、また、国際理解、福祉、教育カウンセリング等、学校教育を支援する領域の人材養成を行う機能もある。学校教育が家庭や地域社会との連携のなかで進められることが求められているとき、学校はもとより、家庭や企業、地方行政機関、地域社会に、子どもの発達と各発達段階における教育の過程に深い理解を持った教育系学部の出身者がいることが、大きな力となる。学校教育において、従来の教科を越えた横断的な領域が求められているが、新課程ではそうした学際的領域の専攻が設置されているがゆえに、それに対応する教官集団と学生による新領域の教育研究が営まれ、その成果が教員養成課程のカリキュラムに還元されている。新課程は、その発足時の事情から、ともすれば教員需要の低下に伴う緊急避難的な位置づけをされてきたが、教育系学部はいま、教員養成課程とともに、あるいは教員養成課程との関係のなかで、新課程を適正に意味づけ、位置づけなければならない。
 平成11年度・12年度に、新しい免許基準に基づき、各大学においてカリキュラムの改訂が行われたが、特に教員養成のカリキュラムは、今後、各大学・学部が不断に吟味し直し、改善をはかっていかなければならない。カリキュラムは大学・学部の教育理念の具体化であり、教育系学部の自己点検評価、外部評価、第三者評価において、それは重要な評価対象となる。教員就職率等の量的な物差しだけではなく、質的な評価の物差しをわれわれが求めるとすれば、教育系学部における教育研究活動の在り方も、その評価基準・評価項目・評価方法等の在り方とともに、われわれがみずから検討し、みずから指針を用意していかなければならない。教育職員養成審議会の第3次答申「養成と採用・研修との連携の円滑化について」(平成11年12月)は、「教職課程の充実と教員養成に携わる大学教員の指導力の向上」に関する提言を含んでいる。カリキュラムとともに教育研究活動を担う教官の適正な任用と配置、研究体制・学問領域の再構築も大きな課題となる。この問題とかかわっては、博士課程の拡大と一層の充実を求めていかなければならない。
 大学院修士課程における現職教員の研修機会の拡大については、各大学・学部が夜間大学院や昼夜開講コース等の開設をはかりつつある。平成13年度からは新しい休業制度が創設されるが、条件整備が不十分であることもあって、教育委員会や学校等、送り出す側の動きはまだ必ずしも積極的ではない。国や都道府県への働きかけが必要である。同時に修士課程のカリキュラムの改善もまた急務である。6年一貫の制度化はすぐには困難であるが、当面は学部4年と修士課程のカリキュラム上の一貫教育の工夫は試みられるべきものである。
 学校教育現場における教員構成については、年齢構成のアンバランスを是正する計画を行政は示すべきであろう。教員集団が多様な人材から構成されることは望ましいことであるが、社会人の登用、再任用制度の導入等に関する計画を含め、教員採用計画の中長期的な見通しが見えなければ、教職に若い有為の人材を多く集めることはむずかしい。
 
 第一次報告書は、山田昇奈良女子大学教授を中心とする専門委員により調査結果の分析が行われたが、山田教授は平成11年3月に退官され、本報告書は、横須賀薫宮城教育大学教授を中心に、新たに八尾坂修奈良教育大学教授が加わった専門委員によりとりまとめられた。関連する新しい資料とともに、今回調査を行った各課題について、国立大学をめぐるその後の状況を踏まえつつ、あらためて考察が加えられている。多忙のなかで、調査の実施・集計・分析・考察に当たられた専門委員各位に厚くお礼申し上げるとともに、本報告書が今後の教員養成と教育系学部の発展の一助となることを期待する。

平成12年3月

教員養成特別委員会  
委員長 岡 本 靖 正
 

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