国立大学法人化についての基本的考え方

平 成 13 年 5 月 21 日
                国立大学協会設置形態検討特別委員会

 国立大学協会は、独立行政法人通則法を国立大学にそのままの形で適用することに強く反対するという従来からの一貫した姿勢を変更する必要があるとは考えない。しかし、同時に、国立大学の法人化は、国が高等教育と学術研究における財政的責任を堅持しながら、国立大学の自律性を拡大し個性化をすすめることによって、教育・研究の質を高め、この国の知的基盤の拡大強化をもたらす契機となりうるものとして、これに真摯に対応すべきであると認識する。
 国立大学協会では設置形態検討特別委員会を設けて、このような観点から検討し、国立大学の法人化について以下のような考えに至った。

1.  法人化が高等教育および学術研究に対する国の責務の放棄を意味するものであってはならず、とくに高等教育に対する国の財政的責任は、グローバルな科学技術革新に適切に対応するためにも、堅持され一層拡大されなければならないこと。これに対応して、国立大学は公的負担により運営されていることを明確に自覚し、効率的運営に留意し、大学運営の透明性を高めるとともに、社会の期待に応え社会の理解を深めるよう、最大限の努力をすべきこと。
2.  法人化は、従来の国立大学が国の行政機関の一部とされていたことに伴うさまざまな制約を解除し、教育研究の発展のための大学の自主性・自律性を拡大するものでなければならないこと。この自主性・自律性の拡大は、当然に自己責任の拡大を伴うものであること。
3.  他方、自主性・自律性を拡大した国立大学は、その活力を源泉に、切磋琢磨して個性化をすすめ、高等教育および学術研究の質の向上と発展をもたらさなければならないと同時に、社会に対する一層の説明責任(アカウンタビリティ)を果たさなければならず、社会に対してより一層開かれた存在となる必要があること。

1.高等教育および学術研究に対する国の責務 
 高等教育および学術研究の進展は、国や社会の発展に不可欠である。逆にいえば、高等教育および学術研究が衰退するなら、社会の発展は阻害され、ひいては「国が滅びる」ことにもつながる。その意味で、高等教育および学術研究の成果の受益者は、国・社会の全体である。高等教育および学術研究には、広くて長期にわたる外部効果がある。したがって、高等教育および学術研究に要する費用は、基本的には、国や社会が当然に負担すべきコストであるとしなければならない。そして、大学が、高等教育および学術研究の中枢機関として位置づけられる以上、そのような大学の相当部分をみずから設置し維持していくことは、まさしく国の責務に属することである。「国立大学」(あるいは「国が責任を持つべき高等教育機関」)という存在の必然性は、この点にある。イギリス・フランス・ドイツなどヨーロッパの主要国において、ほぼすべての大学が国立(州立)大学であり、フランス・ドイツでは授業料も基本的に無償とされているのは、こうした認識に基づくものといえよう(なお、大学数では私立大学が7割以上を占めているアメリカにおいても、在学生数では州立大学が7割近くを占めている)。
 のみならず、高等教育および学術研究は、人類全体の福祉の向上にとっても不可欠である。とりわけ、21世紀の人類社会は、文字どおり地球規模の、さまざまな困難に直面しており、この解決のためには、高等教育および学術研究が決定的に重要な役割を担わざるを得ない。こうした時代にあって、国として高等教育および学術研究をどの程度重視するかは、ただちに、その国の人類社会全体への貢献度の指標となる。21世紀の国際社会において、日本が、主導的な役割を果たし、尊敬される国となるためには、高等教育および学術研究の推進を最重要政策に位置づけるべきである。そのことがまた、政治・経済面でも、日本の国際的地位を向上させることにつながっていくはずである。
 ひるがえって、日本の現状は、すでに多くの指摘がなされているように、決して十分なものではない。日本の場合、大学数でも学生数でも、私立大学が7割以上を占めており、また、高等教育に対する公的支出も、対GDP比0.5%程度と、欧米主要国の半分程度でしかない。本来国や社会全体が負担すべき高等教育コストの多くの部分が、私学設置者や学生等に負わされる形で、いわば外部化されているのが、日本の現状である。こうした現状を改善し、少なくとも、高等教育に対する公的支出を、欧米主要国並みに対GDP比1%程度にまで拡充することが、緊急に求められる。そうではなく、国立大学の法人化が、もっぱら国家財政上ないし行政改革の観点から、高等教育および学術研究コストをさらに外部化するための方策として進められるようなことがあれば、それは、国力の低下、国の衰退をもたらすもの以外のなにものでもありえず、とうてい容認できない。
 他方、国立大学の現状にもさまざまの批判があり、改善を要する問題が多々あることも事実である。国立大学は、これらの批判を社会の期待のあらわれとして真摯に受け止め、厳しく自己点検し、その結果を公表して社会の期待に応え社会の理解を深めるよう、最大限の努力をしなければならない。その努力なくしては、公的支出の拡大も期待できないであろう。

2 大学の自主性・自律性 
 大学は、なによりもまず、高等教育機関であり、大学における教育の質の向上は研究の質の向上があってはじめて期待できるものである。その意味で、大学における研究と教育は密接に関連しているといえる。ところで、学術研究は、ときの政治社会状況に左右されない自由な発想や、これまで真理・常識とされてきたことを疑うところから出発する。いわば、既成の価値体系・価値観から自由であることが、学術研究の本質である。憲法が保障する学問の自由は、直接的には、国家から自由であることを意味するが、その背後には、こうした学術研究の本質がある。そして、大学は、学術研究の中枢機関でもある。したがって、大学は、既成の価値体系・価値観に拘束される存在であってはならない。いわゆる大学の自治が要請される実質的根拠は、この点にある。
 以上のように、大学の自主性・自律性が必要とされるのは、高等教育および学術研究の本質に基づく。したがって、国立大学の法人化は、この、大学の自主性・自律性を保障し、拡大するものであってはじめて、議論に値する。とりわけ、従来、国立大学が国の行政機関の一部とされていたことに伴う種々の制約(たとえば、予算上の規制、給与・服務など人事面の規制、組織の設置改廃や定員管理など組織編成面での規制など)は、高等教育および学術研究の本質から要請される大学の自主性・自律性に、必ずしもそぐわない部分があったことは否定できない。国立大学の法人化は、こうした制約を根本的に見直し、高等教育および学術研究の本質に沿って、大学の自主性・自律性を拡大するものでなければならない。
 自主性・自律性の拡大は、当然に、大学の自己責任の拡大を意味する。したがって、法人化後の国立大学の運営組織は、大学が自主的で責任ある管理運営を行うことを可能とするよう、制度設計されなければならない。その基本は、大学が内部に自律的かつ効率的な意思決定と執行の体制を持つことである。そのことによって、国立大学は、期待される役割を果たし、世界的に評価されるものとなることを、みずからの責任として課していかなければならない。

3 社会に開かれた大学
 国立大学は、法人化されても、公の負担において運営されるものであることには変わりはない。したがって、国の財政負担増を伴う組織の新設・改編等について国ないし国民の同意を必要とすることは、当然である。また、教育研究目的以外に公金を使うなどの不正を防止し監視する仕組みも、当然に必要である。このかぎりで、国立大学に対する国の関与は否定しえない。しかし、他方、大学が、既成の価値体系を前提に成り立っている国や社会に縛られないということは、高等教育および学術研究の本質から要請される基本線である。したがって、大学に対する必要以上の規制は、避けられなければならない。
 もとより、このことがいえるためには、大学自身が、切磋琢磨して個性化をすすめ、つねに教育研究の質の向上と発展に最大限の努力を注ぐとともに、社会の要請を不断にとりいれうる体制をそなえていなければならない。とりわけ、国立大学が公の負担で運営されるものである以上、大学の側には、その教育・研究成果を正しく社会に還元し、それが社会に役立つものであることを説明すべき義務がある。ここで、社会に役立つとは、日本の現実においてときとして受け止められがちな現状の社会に直接的・即応的に役立つという意味においてのみ理解されるべきではない。それのみを追求するならば、高等教育および学術研究は退廃するし、社会の発展にもつながらない。社会に役立つかどうかは、グローバルな視点、長期的な視点、あるいは現状変革的な視点など、幅広い視点で複眼的に判断されなければならない。いずれにしても、大学の側が、それをきちんと社会に説明できるのでなければ、その存在意義を問われることとなるのは必至である。大学の自治は、もはや「閉じこもり」の自治ではありえない。国民に対する説明責任や社会との連携などを明確に視野に入れた自治でなければならない。

 以上の観点からすれば、高等教育および学術研究の本質を阻害しないで、かつ、従来以上に社会に対して開かれた大学をいかに創り出すかが、こんにちの重要課題として提示されるであろう。これに答えるためには、大学人自身の意識変革が必要であるとともに、制度上の仕組みとしても、高等教育および学術研究に深い理解と高い識見を有する学外有識者に、これまで以上に大学運営への参画を求めることなどが、構想されてよいであろう。この場合、どのような学外者にどのような形・範囲で参画を求めるかは、大学運営への学外者の参画の意義をどこに求めるかによって、自ずと異なってくるはずである。したがって、大学運営への学外者の参画は、それが何のためのものであるのかを明確にしたうえで、それに適した形で制度設計されることが肝要である。

 国立大学協会設置形態検討特別委員会は、このような基本的な考え方にたって、国立大学の法人化についての枠組案(別紙)を構想した。この枠組案は、一方で、国立大学自身の改善改革への強い意欲を反映したものであると同時に、他方では、時として国立大学に対して加えられる批判を重く受け止め、改善策を含めて検討した結果である。なお、この基本的枠組案は、@法律に定めるべきもの、A政令または文部科学省令に定めるべきもの、B各大学で定めるべきものを、今のところ十分には区別しないで制度の大綱を示している。今後、この三者の十分な振り分けと法令面の検討を行うことにしている。