◆ 資 料 編

3. 障害を有する学生からの声

○北海道大学
  工学部応用物理学科4年


 机が固定されてない教室で、前のほうで講義を受けるとき、机がだんだん前に来て入るスペースがなくなってしまったり、まえ過ぎて黒板が見にくくなったりすることがある。
 逆に机が固定されている教室では、一人だけ前にピョコッと飛び出ているのは違和感がある。
 工学部図書館で調べものをするとき、階段があったり、狭かったりで、自分で探しに行けないので、ほかの人が探しにいってくれるが、自分で直接見て探したいときもある。
 地下の食堂、購買部に行けないのは不便。特に、飲み物が買えないのは辛い。
 掲示板の下のほうに貼られると見えないとこがある。
 トイレに行って使用中と言うのが結構ある。障害者用トイレとして別個に作らないほうが良かったのかもしれません。普通のトイレの一角にアコーディオンカーテンなどで囲うくらいのほうがいいのかとも思う。



○北海道大学
  工学部資源開発工学科3年


 私は心臓に疾患があり、運動制限と通院が必要ですが、大学生活を送るうえで、学習上あるいは生活上で特に問題を感じることはありません。
 肢体等に不自由を有する場合、外から見てできることとできないことの区別はつき易いのかもしれませんが、私のような心臓疾患の場合、自分の意志でできることとできないことの境界線を他人に伝えなければなりません。一見、健常者とかわらないので、「ただ怠けているだけではないか」などと誤解されないように、自分から進んで障害者であることを伝えるように務めています。障害を有する友人の中には、自分が障害者であることを人に知られることを嫌がる人もいます。そういう人は、学生生活の中で誤解をうけやすいのではないか、とは思います。
 大学は障害を有する者にとって、ゆるやかに自立していく場だと私は考えています。高校までは皆で同じ授業を受け、困ったことがあれば担任の先生に相談すれば良かったのですが、大学では少し違います。自分で履修する科目を決め、その上で困難なことが生じたら、自分でその不具合を伝えなければなりません。私は必須かもくに体育があったので、履修する前に医師の診断書を出し、見学という形で単位を取得することにしました。今までの大学生活では、先生をはじめ、事務の方々にも障害に対して理解していただいており、特に困ったことはありません。
 障害がある人が、自分の障害をどう受けとめているかは人それぞれだと思います。私はこれから先も、自分の体の具合を率直に伝え、大学の方々と話し合いをし、学生生活を送っていこうと思っています。


○山形大学

 山形大学は車イスを運ぶのが大変である。一番大きい教室がある校舎にエレベーターがなく、自力で運ばなくてはならないからである。人に頼むと、緊張してしまい余計腰が曲がってしまう私はなかなか頼めない。「運ぼうか。」と言ってくれる人にお願いすることにしている。ただ、言ってくれる人があんまり障害者と接したことがないのか、私に対してお客様のように接してなかなか普通の友人のようには扱わない人もいる。それがいやで深くつっこんで話ができない。相手が話す気がないのに一人で話すのはつらい。



○筑波大学
  大学院博士課程心身障害学研究科5年次

 私は、生まれつきの全盲者であり、9年前に本学の人間学類に入学した当初から、点字やその他の補償機器を用いて学生生活を送っている。
 これまでの学生生活を振り返ってみると、視力がないために不自由を感じた事柄として、以下のようなものが挙げられる。
1.教材の点訳
  本大学には、教材や試験問題を点訳したり、学生の点字による回答を活字に直したりするシステムが確立していない。全学共通の英語検定試験など、一部の試験問題については、心身障害学系内で点訳と回答の活字訳が行われている。しかし、授業の教科書など、多くの点訳は、学生自身が重要度の高いものから順に学外の点訳ボランティア団体などに依頼している。点訳には、時間的・金銭的コストがかかるため、全てのテキストや資料を点訳するのではなく、大学内図書館における対面朗読サーヒスも多く利用している。
  定期試験については、多くの場合、授業担当教官との相談により、口頭試験、レポートへの振り替え等の配慮を受けてきた。近年、パソコン上のテキストデータを点字に自動変換する技術が画期的な進歩を見せており、毎回の講義で配布されるプリントや、学生の発表資料などは、リアルタイムで読める機会が増えつつある。
2.学内の移動
  広い敷地内に建物が点在する本大学において、視覚障害者の単独移動は非常に困難である。歩道に無秩序に止められた自転車や、景観を重視して歩道のすぐ脇につくられた池は、非常に危険な障害物となっている。
  しかし、長年の交渉の結果、一昨年春に点字ブロックが設置されて以来、特定の場所に限っては安全かつ快適な移動が可能となった。点字ブロックの上に駐輪しないでほしい旨を、先生方に授業で呼びかけていただいたり、看板を設置して促したりして、一般学生に対する理解と協力を随時求めている。
3.学習補助(チューター)制度
  本学に在籍する障害学生は、障害の種類や程度、学年などに応じて定められた時間数の範囲内で、学習補助者の援助を受けることができる。私は、朗読や書籍の検索・収集、文書校正、事務書類の記入など、様々な業務を補助者に依頼している。
  学習補助を受けたい場合、まず障害学生は、自分自身で補助者を選考し、事務に届け出る。作業の時間帯や内容の決定、作業に必要な技術の指導などは、全て本人に任されている。このように、障害学生自らが補助者を選び、自由に補助者と連絡を取り合って支援を受けられるシステムは、現在の私のように、博士課程の学生や、このシステムに慣れた学生にとっては大変に便利なサービスである。しかしながら、新入生や、人との関わりに慣れていない障害学生に関しては、必要に応じて大学側がもっと深く関与すべきであると思われる。すなわち、大学側で援助者を斡旋し、障害学生のニーズと支援者の技術を調整して割り振りを行うような、新たなシステムの検討が求められる。
  また、このシステムは、授業時間のみに適用されることになっており、授業終了後の補助は認められていない。学生が自主学習を行う全ての時間帯に、このサービスが延長されることを希望している。



○筑波大学
  大学院修士課程教科教育専攻

 先天性骨形成不全症のため手動車椅子を使用している。1998年、自動車運転免許取得。
 この大学に来て5年目になります。自分なりに工夫して一人暮らしをしてきましたが、学校内で不便だと感じる点は少なくありません。
 学群生時代は、学校へは宿舎から車椅子で30分近くかけて通っていました。リフト付き学内バスも走っていたのですが、すべてのバスにリフトが付いていたわけではなく、また一時間あたりの本数も少なかったので、雨の日以外はあまり利用しませんでした。リフトが老朽化していたために作動せず、運転手やほかの乗客の手を借りて乗り込まなければならないときもありました。
 車椅子で移動するのも決して楽ではありませんでした。大学内の道にはタイルや石畳が敷かれているところが多いのですが、割れているタイルがあったり、雨の日は滑りやすかったりして、特に注意が必要でした。また自転車通学者が多いため、狭い道に自転車が置いてあると通りづらく、移動するときは人の多い時間帯をなるべく避けるようにしていました。
 学校の建物の中には小さな段差がたくさんあって、木の板でスロープを作ってもらいました。3階までしかない棟にはエレベーターが付いていなかったため、その棟の3階の教室に行くためには、まず隣の棟のエレベーターで3階まで上り、そこから渡り廊下を通って行かなければなりませんでした。現在主に使っている文科系修士棟にはスロープが設置されていますが、階段からやや離れたところにある上に傾斜が急になっています。図書館には車椅子に乗っていても使いやすいエレベーターやトイレが設置されているのですが、それ以外の建物にはほとんど設置されていないので、荷物を持っているときなどは大変使いづらく感じます。
 また、大学内のすべての場所に車椅子で入ることができないのも現状です。大学会館本館の向かいに、書籍部・キャッシュコーナー・旅行会社・郵便局・売店などが入っている別館があるのですが、そのうちの売店には階段を使わないと入ることができないのです。以前売店に関するアンケートが行われたときや、大学新聞で取材を受けたときなど、入り口付近の改善を提案したのですが、何も変化はありません。
 大学院進学を機に車を持ち、雨の日や、学内バスの運行していない時間でも自由に一人で活動することができるようになりました。車の乗り降りに十分スペースが必要なので、学校にも宿舎にも指定駐車場を申請して、許可を取って駐車しているのですが、無断駐車が多いので困っています。特に宿舎の駐車場には、車のナンバーを書いた看板まで出しているのですが、それでも駐車する車がいるため、空いている遠くの場所まで行かなければならないときもあります。パトロールを依頼しているのですが、夜間や土日などは、自分で貼り紙をするなどして対処しています。



○筑波大学
  大学院教育研究科障害児教育コース1年次


 現在、筑波大学大学院に在籍しております。聴力レベルは左右ともに115dBの重度感音性聴覚障害、等級は2級となっております。私は、昭和53年に生まれましたが、生後8ケ月頃に聴覚障害であることが判明し、以降、大学入学に至るまでろう学校で一貫して教育を受けてまいりました。そのため、大学に入って初めて、本格的なインテグレーションを経験いたしました。
1.筑波大学は障害学生に開かれた大学と聞き、ここなら十分に勉強できると期待して入ったのですが、大学4年間では、週2〜3コマ、現在では週1コマしか手話通訳や筆記通訳の派遣をうけることができませんでした。1〜3年生の授業は、週20コマ程度でしたから、ほとんどの授業で情報保障なしに、独学で勉強してきたも同然です。教授が何を言っているのかは全然理解できませんし、ディスカッション形式では目の前で議論が繰り広げられているのにテーマすら把握できず、1日中暇をもてあましたり、周りが笑いの渦にのまれた時もどこがおもしろいのかわからず、寂しい思いをしてきました。また、休講やテストの連絡がわからず、不安な思いをしたこともしばしばありました。いわば、授業に「出席」していても、まったく「参加」することはできない状況なのです。決して安いとはいえない授業料を払ってまで、授業に出席する意味があるのか疑問に思う毎日です。
2.自分の興味のある講義に参加したいと思っても、通訳が派遣されないため、その講義履修を放棄せざるを得ない状況もしばしば起こっております。このように、大学4年間は、自分の興味のある講義を履修できず、ただ卒業に必要な単位の修得のみに終わってしまったような感があります。
3.さらに、この通訳派遣はすべて学生ボランティアによるもので、手話通訳、ノートテイク、通訳者斡旋・派遣・記録、通訳者養成、通訳者謝礼の分配など多くにわたる実質的業務をすべて行っており、大学側がそれに対して「チューター費」の名目で謝礼を支給するだけです。その業務には膨大な時間、専門的な知識、肉体労働、精神の疲労などの大きな負担を強いられます。また、講義保障団体で会議や意見交換会などを行っておりますが、夜11時をまわることもしばしばで、自分の講義のレポートやテスト勉強が後手後手になってしまい、多忙の毎日を強いられてしまいます。なぜ、聴覚障害学生と講義保障に関わる学生のみが、煩雑な仕事や専門知識を要求され、自分の時間を犠牲にしなければならないのか、理不尽に思う気持ちに駆られております。また、通訳者斡旋担当の業務量や、通訳者の専門技術・知識および鍛練の場・時間が常に要求される通訳という仕事の性格を考慮に入れると、大学から支給される謝礼も不当に安いものと言わざるを得ません。
4.上述のように、一般の学生と同様に授業に参加する権利、選択する権利、学ぶ権利が保障されているとは言い難い状況に置かれております。
 また、こうした状況について大学に相談しようと思っても、相談窓口が一本化されておらず、どこに相談してよいのか分かりません。特に入学時の聴覚障害学生は非常に不安な思いをしています。私の場合ははじめから手話サークルの先輩を知っており、入学式やオリエンテーションから情報保障をうけることが出来ましたが、聴覚障害学生の中にはそのようなつながりもなく、いきなり未知の世界でまわりの情報が受け取れない状態におかれ、非常に不安な思いをしている学生がたくさんいるのです。そのため、入学時から何らかの形で学業体制に関する相談や支援が受けられる体制があればいいのではないかと思います。
5.現在では、ようやく、大学の大きなイベント(入学式・卒業式・卒業論文発表会など)においては、大学側が地域の聴覚障害者福祉センターに通訳者派遣を依頼し、その予算も大学側の経費として計上するという公的保障に近い形になってまいりました。しかし、学校生活のほとんどを占める講義に関しては、このような保障はほとんどされておらず、今後、講義に対する大学側の通訳斡旋・派遣を強く望みます。
6.大学側も聴覚障害学生のサポートや公的保障システム化推進のための情報や先例がないため、難航しているのではないかと推察しております。そこで、大学における聴覚障害学生サポートについて資料を蓄積し、大学に対してサポートできるようなセンターのようなものがあれば、もっと大学も積極的に受け入れていけるのではないかと思います。このような公的保障を通して、聴覚障害学生および講義保障に関わる学生の「学ぶ権利」が保障されることを切に願ってやみません。
7.生活面においては、図書館を出る際に、出口の持ち出し禁止のアラーム音が聞こえなかったために、犯人扱いを受けたことがあります。また、緊急の際に情報が入らずに、困った経験があります。そこで、電光掲示板の設置、FAXの設置、パトライトの設置(宿舎を含めて)など、情報を視覚的に伝達できる機器設備の充実を望みます。



○埼玉大学
  理学部基礎化学科


 聞こえない学生として私が大学生活上で感じている問題点は、一言でまとめると周囲の聞こえる学生と比べて情報的に孤立しやすいことにある。例えば口頭中心で行われる場面が多い大学の講義では、聞こえる学生と比べて手に入る情報量に圧倒的な差がある。聞こえる学生は教授の様々な話(講義の内容に関係あるなしを問わず)を聞きながら総合的に学習の内容を理解することができるし、講義中に取ったノートを手がかりにして講義の内容を頭の中で再現することもできる。しかし私は板書などの断片的な情報しか得られないために講義中はそのわずかな情報から内容を想像するしかなく、実際の学習は講義以外の時間で独学しなくてはならない。そのため、講義を理解するために大きな負担がかかるばかりでなく、一体何のために講義に出席しているのか、その意義が見出せないでいるのである。私が本当の意味で講義を理解するためには通訳(ノートテイク、手話通訳)が必要であるが、大学にはそれを斡旋するような制度はなく、友人に頼むなど自分の努力で探さなくてはならない。そのための負担も非常に大きなものである。
 また、友人関係などにおいては、聴覚障害は「見えない障害」と言われるように、自分が聞こえないのだということを理解してもらうことはなかなか難しい。友人同士がグループで会話を楽しんでいるときなどはその輪に加わることができず、孤立しがちである。手話サークルなどがある場合はともかく、周囲がすべて聞こえる学生であるという環境において、学内に自分の居場所がなくなってしまう。
 私が大学生活上で感じている問題点は以上のようなものである。



○東京工業大学
  大学院理工学研究科


 障害の種類と程度(1)視覚障害、b.弱視者
 東京都の発行する身体障害者手帳に記載された身体障害者程度等級 2級
・ 視覚障害者用点字ブロックの施設状況、設備設置の予算と言ったハード面は良い。工事中の危険回避、設置後のブロック上の駐輪等ソフト面に難あり。
・ 電子計算機等視覚障害者用補助機具の導入、小規模予算の導入は良い。
  予算状況に合わせた希望提出等、適用面が不便。
・ 館内の照明増光の申請は棄却。電気代節減とのこと。新規導入は円滑だが既存の設備改善は比較的容易ではない。
・ 教官・事務官並びに学生等大学関係者の障害に対する意識及び対応は小社会的見地から極めて一般的。


○新潟大学
  理学部


 2000年度入学、男、下肢の機能障害(車椅子・松葉杖は、使用していない。)
 大学構内・校舎内で不便な点。
 (1) 障害者用のトイレ又は、洋式トイレの数が少ない。
 (2) 大学全体が傾斜地形のため階段や坂道が多く移動が大変。
    (平坦地を選んで移動するので動線が長くなる。)
 (3) 厚生センターの階段にスロープ、エレベーター等の設備が無く車椅子使用者の利用に不便を来している。
 (4) 校舎内の廊下に大きな荷物が置かれている場合があり、車椅子使用者の通行に不便を来すのではないか。



○岐阜大学

 私自身、聴覚障害を持っていながらも、講義を聞かない授業もあり、大口をたたけるいわれはないのですが、特に少人数でのゼミなどでは、学生の発言を聞きとれなかったり、聞きまちがえたりすることがあります。そこで、自分が聞き返したりすることでゼミ運行に支障がでることになると思い、控えてしまうことが多いです。そう考えることがかえってゼミのメンバーに迷惑になることもあるとは認知していても、やはり障害を持っている人は、年寄りと似たような心情―人に迷惑をかけたくない―を強くもっているので、そのまま流しがちになってしまいます。



○名古屋大学

1.私の障害の程度
  私は5年前に自動二輪による事故で、左半身を三カ所骨折し、約4ヶ月の入院を余儀なくさせられました。残念なことに、股関節の骨折箇所に壊死が生じたため、股関節のちょうつがい部分がなめらかではなくなり始めました。病名は左大腿骨壊死症といい、たとえ数百メートルの歩行程度でもその症状をさらに悪くしかねません。2年前からは悪化防止のため、歩行の際は右手で杖をつくように医師から指導されました。大きい物や重い物はもちろん持てませんし、股関節のちょうつがいがなめらかではないので、太股をつり上げて足をあげるような運動も容易ではありません。
  研究生活の中で思うこと
  私が常々思うのは、体の不自由な人の声を学校の運営にもっと取り入れてほしいといことです。そうすれば様々なアイデアが提案・議論され、解決策が煮詰まっていきます。こうして意見が述べられる機会すら今回が初めてです。健常者だけの集団では、決して障害者の視点から問題を見ることはできません。むしろ、身障者にとって改悪されることさえ少なくありません。本校の例でいえば、傾斜がきつすぎて誰にも使われていないスロープの建設や、見栄えはするが滑りやすくて雨の日には疎んじられるロビーの大理石の敷き直しなどです。
  杖を使えば自分でどこでも行くことができるということから、まだ私が感じる不便さ・不自由さは限られているといえます。それでも身体障害者用の駐車場が不便な位置に設置されていることや、校舎の周りの道路や廊下がとにかく歩きにくいこと、身障者用の設備があっても案内がないことなどです。そうしたものの多くは大規模な工事をしなくてもよいものであることに気づきます。少しの予算とアイデアでなんとかなるのではないでしょうか。たとえば駐車場であればエレベーターの近くの場所を確保する。側溝のふたが金属製の網では、滑りやすく杖や車輪がはまってしまうのでこれを交換する。段差を少なくする。身障者用の施設(トイレやエレベーター)を案内する看板を設置する。こんな簡単なことすら健常者からは気づいてもらえません。そうしたところに問題があるのではないかと思います。
  正直なところ、私の障害程度では「本当」に困ることはそうありません。まだ軽度の障害ですし、幸いなことに私の周りには協力してくれる仲間がいます。しかし、もし現状のままこの校舎に車椅子をつかっている学生が入学してきたら、とおもうとゾッとします。講義を聴きに勝手の悪い校舎を奔走し、昼には友人たちと一緒に食堂や売店で昼食やおやつも楽しむことができないような毎日になることでしょう。そうなる前に、障害をもつ人の声をどんどん取り入れる体制を確立することが急務といえるのではないでしょうか。
2.先生により聞き取りやすい方と聞き取りにくい方とがいましたが、大体に重要なことは黒板に書いて下さったので授業内容は大体わかることが出来た。自分としては出来ることなら黒板に書いて欲しいと思っていましたが別にそんな問題はありませんでした。
  出来るだけ一般人と同じ環境で勉強しようと試みた自分でしたが、先生方の自分が難聴であることの認知度が低かったのは少し残念だったと思う。だから、自分が難聴であることをもっと先生方にいうか、共通教育の様に共通教育事務所から自分が難聴であるという手紙を各教官に出して貰えると認知度が高かったかなと思っています。
3.スロープ、エレベーター等の整備はもちろんお願いしたいが、学内の工事による路面の凸凹が下肢機能障害の学生にとって危険な場合もあるので路面の整備も考えていただきたい。
4.〈要望事項〉
 ・ 解除をお願いしたいときに申し出る事ができる大学に於けるボランティア機関の設置及び機関窓口、ホームページの開設
 ・ コンピュータは、勉学をしていく上で不可欠なものである。
   限られた修業年限(奨学金期間を含む。)の中でのコンピュータートレーニングは、修士論文、博士論文作成を考えるとき負担となっている。
   留学生が正規課程に入学する前に日本語教育期間に設けられているように、正規課程に入学する前にコンピュータートレーニング期間を設けてほしい。
 ・ 障害を持っている学生の意識改革として、大学とリハビリ専門家との密なる関係を構築し、オリエンテーションなどにより積極的に自ら周りとの関わりを持って行くような環境とする。
 ・ 障害を持った日本人学生の外国留学及び留学生の受け入れに対する積極的な交流及び経済的支援



○京都工芸繊維大学

 私は、身体障害者手帳を有しており、感音性難聴による右91.3dB、左105dBの障害を持っています。身体障害者等級の3級です。
 私が日頃、感じている学習上あるいは生活上の問題点は、講義中の教官の声が聴こえにくいことです。広い講義室での講義中では、特に聞きとれません。教官は、マイクを持って講義をされるのですが、スピーカーの位置が悪かったり、音量調整が不適切で聞こえにくいです。もし、可能ならば、講義中に話される内容をプリントにしてもらい、配布してほしいです。
 日常生活上での問題点は、なかなか他の学生とのコミュニケーションが円滑に運ばないことです。少し大きめの声で正面をむいて話してくれれば良いのですが、なかなかそのように話してくれる人はいません。私から「僕は、耳遠いから大きい声で話して。」と、積極的に頼めば良いのかもしれないけど、初対面の人に、毎回、同じことを言うのも恥ずかしいです。
 でも、自分から積極的に会話をして、少しでも知識を広げるために多勢の人と知り合いたいので、頑張ります。



○京都工芸繊維大学

 私は、左上肢の機能障害により、右手だけでほとんどの生活を送っています。左手は、右手で物を持たせたりすると持てる程度であり、左手だけで何かをできるわけではありません。
 校内の設備ではだいたいのドアは両開きになっており、右手に物を持っている場合、引くドアならば、困難なところですが、ほぼそういうこともなく、過ごせております。
 電子情報工学科の実験においては、問題なく学習できます。
 片手でほぼこなすことができます。
 パソコン等も片手で使用できます。
 学習環境ではありませんが、学生食堂ではセルフサービスになっておりますが、友達がいれば食事を運んでもらったりできるでしょうが、いないときは食堂のスタッフが運んだりするような心意気がほしいです。
 障害者もリラックスしたい時もあります。
 学習的な面が先でしょうが、そればかりでは形式ばかりで内容が無いということになりかねません。
 福利厚生の面も充実していってほしいです。



○神戸大学
  発達科学部


 私は全盲の視覚障害学生ですが、快適且つ有意義な大学生活を送る上で必要だと考えていることについて書いていきたいと思います。
 まず、学習環境の面についてです。授業を受ける際には、多くの場合、教科書やレジュメを読むことが不可欠です。ところが、視覚障害学生の場合、一般の文字を読むことができません。そのため、全盲学生には点訳または音訳された教科書が必要であり、弱視学生の場合は拡大文字化したものが必要となります。また、全盲学生の場合、失明した時期等によって、点訳が良い場合と音訳が良い場合とがありますので、個々のケースに対応した形での教材保障を希望します。それから、特に点訳については、正確且つ迅速に読むことが求められますので、点訳を専門にしている外部機関に点訳を依頼するという形が望ましいように感じています。と言うのは、私自身も、学生ボランティアに点訳をお願いしたことがありますが、やはり読みにくいということと、質・量ともにあまり期待できないというのが正直な感想です。また、そのボランティアに時間的な余裕があるときでなければお願いしにくいというのも事実です。さらに、ボランティアをする/されるという人間関係ができてしまうと、大学内で日常生活を送る上で対等であるはずの立場がゆらぐこともあります。
 私の場合は、現在、教材やレジュメについては、その多くを大学側から点訳業者に外注していただくという形で教科書保障を受けています。また、一部のレジュメについては、先生からテキストデータの入ったフロッピーをいただき、大学に入れていただいている視覚障害者用情報処理機器や点字印刷機を使って、自分で点訳しています。ここで大切だと感じていることは、条件を平等にしてほしいということです。教科書やレジュメについて言えば、一般の学生は教科書を購入しさえすれば、後はそれを何度も読むことができます。レジュメについては、授業で配られたものを受け取れば、それを自由に読むことができます。視覚障害学生の場合にも、教科書代を支払えば点訳の教科書が手に入り、一般の学生がレジュメを参照する時には、点訳のレジュメも用意されているという状況が望まれると思います。
 授業に際しては、板書の内容を読み上げてもらうことと、板書した内容を指で指して「これ」とか「こっち」とかいった指示語を使わずに具体的な言葉で説明していただくように教務課から伝えていただいています。しかし、いざ授業を受けてみると、板書の内容を読んでもらえなかったり、指示語がよく使われたりする授業もあります。そのような場合には、私からも直接先生にお願いしていますが、まだ安心して全ての授業が受けられるという状況にはなっていないというのが率直な思いです。
 定期試験については、数週間前に問題ができているものに関しては大学側から点訳業者に依頼して点字の試験問題を用意していただいています。また、直前にならないと問題ができ上がらない場合は試験のはじめに口頭で伝えてもらっています。概ねこのいずれかの方法でうまくいっていますが、点字の試験問題がなく、口頭でも読んでもらえず、その場で試験が受けられなかったこともありますので、いつも試験を快適に受けることができるという状況にはまだなっていないと思います。
 読書環境については、大学側で視覚障害者用情報処理機器を一式入れていただいており、それを利用してデータ化されている本やレジュメ等を読むことができ、大変役立っています。また、点字図書としては『点字毎日』と雑誌『視覚障害』を購入していただいており、『視覚障害』に関しては到着すると、その旨をメールで通知していただいています。その他には、点字図書を入れてほしいという希望を出したことはないですが、読みたい本が読めるという環境になっていけばと思います。
 次に学内設備の面ですが、私が利用している二つのキャンパスには、階段・教室やトイレの前等の点字ブロックや、部屋番号を示す点字プレート、音声ガイド付きのエレベーター等、基本的な設備は一通り整っており、入学当初は迷うこともありましたが、キャンパス内での移動でそれほど不自由することはないように感じています。それよりはむしろ、食堂を利用するとき、教室で空席を探すことの方が難しいと感じます。
 また、掲示板の情報について、授業の休講や教室の変更、試験の時間割等必ず知っておかなければならない情報については教務課から電話で連絡していただいており、大変助かっています。その他にはどのような情報が書かれているのかあまりよく知らないこともあり、あまり利用していません。
 以上、私の大学での生活を振り返りながら感じていることを書かせていただきました。



○神戸大学
  工学部情報知能工学科

 まだ大学に入学して1年と少ししかたっていないですが、自分なりに大学生活上の問題点について気づいた事をいくつか挙げようと思います。
 自分は難聴ですが、個人的に普通に聞こえる人とどう違うのかというと、今までの友人関係やその他の関わりを持った人々に聞いた限りでは、「聞こうとしなくてもある程度普通に聞こえてくる」のが一般の場合なのに対し、自分の場合「聞こうとしなければわからない」という点だろうと思います。この差は表面上はわからない為、つきあいがまだ浅い人などからは、普通に会話ができると思われてしまいがちです。その事自体は自分を特別視するというわけではないので特に問題ないのですが、今までと違って自分の状態を完全に理解してもらってない部分もあるのではないかと思っています。高校生までと違って、自分で行動しなければならないのがあたりまえの大学生活ではこれが普通かもしれませんが、その他、学習上及び生活上での問題点はあまりないので難聴者としての立場から言える事はこのぐらいです。



○奈良先端科学技術大学院大学

 私は聴覚障害を持っているのですが、講義保障制度がない為に、講義での講師の説明理解が大変困難であり、学習上、困ったことが多かった。また、ミーティング形式で多人数と話し合う場合の配慮がなく、満足にミーティングを行えなかった。ただ、研究室によっては、ミーティングの際、パソコン通訳を研究室として個人的にかつ試験的に行ってくれるところもあり、その場合、ミーティングが非常にスムーズに行えたことは高く評価できます。
 手話通訳やノートテイカー、パソコン通訳といったサポートを、公的に保障かつ支援していくことが、大前提となるのではと思います。
 他大学の中では、音声認識システムを使って、音声を文字に変える機械が用意されているところもあると聞きました。そういう設備があれば、講義への理解が容易になるのではないでしょうか。
 「講義保障」とは、耳の不自由な人が健聴者(=耳の聞こえる人)と等しく講義を受けられることを保障する、という意味です。障害者だけが講義を満足に受けられないという現状を反映して、この「講義保障」という言葉が生まれてきました。
 「パソコン通訳」とは、発言内容をPCのキーボードで入力し、画面に出力することで、音声情報をテキストにすることを意味します。例として、映画の字幕のようなものとお考え下さい。



○岡山大学
  経済学部文化科学研究科2年


 私は、学部(岡山大学経済学部)在籍中に受けた頸椎損傷によって、主に上肢と下肢に傷害を負うこととなりました。傷害の程度は、上肢については手首から先、下肢については全ての部分が麻痺しており、胴体についてもほとんど意識的に動かすことができません。加えて、体温調節機能などのいわば内面的な傷害もいくつか負っています。ただ、私が専攻している学問分野は経済史学であり、自然科学系のような実験や実習の必要はありませんので、研究活動においてのハンディキャップは比較的小さいものと言えるかもしれません。ともあれ、大学生活のなかで私が普段感じている点について、以下にいくつか述べさせて頂くことにします。
 私が常に車椅子を使用していることからか、多くの人は、歩行障害が私の最も大きなハンディキャップだとお思いになるようです。事実、学部学生の頃は、階段を通過しなければどうしても入れない大教室で行われる講義について、その受講を断念せざるを得ないこともありました。しかし、それはごく一部の例で、少なくとも岡山大学経済学部の校舎では、エレベーターやスロープなどの設備が整備されてきており、ほとんど全ての教室や研究室に車椅子で入室できるようになっていました。また、講義で利用する教室の振り分けに関しても、先生および事務の方たちにご配慮頂けました。校舎以外の施設についても、介助なしには乗り越えられない段差などがありますが、それらは今後徐々に整備されていくものと思っています。実際、最近に新しく建設された設備は、車椅子でも十分に利用できるものです。
 困難を感じるのは、むしろ上肢の麻痺です。ものを握れないというのは案外に大きなハンディキャップで、例えば、鍵を開けたりドアのノブを回すことができない、資料のコピーができない、書架の本を取ることができない、などといったことの方が、車椅子での移動よりも私にとっては大きな問題なのです。もっとも、幸いにして、これらのことについては、周囲の方たちからの協力によって何とか乗り切ることができています。
 おそらく最も困難なことは、試験を受けることです。多くの場合、学生あるいは入学希望者の学力を判定する手段としては、紙に鉛筆もしくはペンで解答を筆記する、という方法が採られているものと思います。このいわばデファクト・スタンダードの方法は、われわれ上肢に障害を持つ者にとって、極めて不利な手段です。私の場合、学部の講義ではレポートや口頭試問で単位認定の試験を課して頂けた場合も多かったですし、大学院の入試では記述にかける時間を通常よりも多く頂いて受験することができましたので、先生方のご理解にも恵まれた例だったように思います。(ちなみに、私は指にペンをひっかけて、なぞるようにゆっくり字を書きます。)しかし、こういった柔軟な方法は、例えば学部の入試の時にも採られているのでしょうか?そういった事情に関して私は知識を持っていませんが、能力を伝達する手段は一つに限定される必要はないと思います。肢体麻痺に限らず様々な障害を持つ人たちにとっても、教育を受けたり能力を表現する機会を増やすために、試験制度が多様化されることを望んでいる次第です。
 以上のように、諸条件が整っていれば、少なくとも私の専攻分野においては、私の負っている傷害は克服できないハンディキャップとはならないと思います。そのほかの学問分野やそのほかの傷害についても、諸条件が整い、キャンパス内でより多くの身体障害者の方たちを目にするようになれば嬉しいです。



○山口大学
  人文学部人文社会学科社会情報論コース4年

 山口大学へ入学してそろそろ4年の歳月が経とうとしております。
 入学当初は共通教育棟内の移動に介助者を必要としたり、人文学部棟において大講義室への移動不可の為同講義室の講義を受講出来なかったりと不便を感じて居た事は事実です。しかしその不便さも今は解消され共通教育棟にはエレベーターが、大講義室への渡り廊下には昇降機が設けられ又は移動教室の専用机の配備等大変行き届いた配慮を戴き、学習上の不満はほぼ解消されたと言って良いと思います。
 又生活上も多くの方のご理解を得る事が出来、専用トイレの設置やスロープ等細かい所に目が行き届くような配慮を戴きました。
 人文学部内における学習上或いは生活上の問題点は今は皆無です。
 しかし目を学内に広げて見るとまだ不満は多少なりとも残ります。
 その中でも理学部を始めとする理系学部内の移動の不便さについては改善の余地有りと考えます。人文学部棟内において大講義室が使えなかった為受講の変更を余儀なくされたのと同様理系学部内で開設されている講義を受けられなかった為に他の講義を選択せざるを得なかったというのは今もって大変残念な事であります。やはり全学部内においてのエレベーター乃至はそれに類する昇降機の設置は私の切なる願いであり、今後の改善を求めたいものであります。又生活上の不便さという意味で違法駐車が挙げられると考えます。車を始め、バイク、自転車等に道路を塞がれその為に遠回りもしくはそこへの移動を断念せざるを得ないという事は大変残念な事と言わねばなりません。以上つらつらと述べて参りましたが何れに致しましても全体的に不満は殆ど無いに等しく、4年間本当に充実した学生生活を送る事が出来た事に関し心より感謝の意を表明したいと思っております。



○鳴門教育大学

 障害は、昨日今日始まったものではない。大学入学までにも様々な問題が起きていたし、入学後も多少の問題は起こるだろうという覚悟をもって大学に入ってきたので、そういう意味では特に大きな問題はない。
〔本人帰省中のため、電話にて照会〕



○九州大学
  大学院法学研究科

 障害をもつ私の大学生活について考える前に、まずその前提となる大学へ進む過程について振り返ってみると、ここまでたどり着くのに様々な人々の援助・後押しがあったことに思い至る。
 小学校に上がるときには既に障害が現れていたが、公立の普通小学校、続いて中学校に通うことになった。学校の施設は全く障害者に配慮されたものではなかったが、先生方、友人の援助の下、無事卒業することができた。
 高校受験を迎えたとき、私自身は普通高校への進学を諦め、養護学校の高等部に進む覚悟を決めていた。勉強をするには普通高校のほうが環境的に整っていることは分かっていたが、受け入れてもらえないだろうと端から思い込んでいた。しかし、先生方のご尽力もあり、普通高校を健常者と共に受験し、入学することができた。高校生活は、車椅子が動けるように小さな段差は解消され、担任の先生が階段昇降機を他の高校から譲り受けてくれたこともあり、ハード面で小・中学校より改善され、先生方、友人の助力の下、充実したものになった。
 そして、大学に入り、今に至る。大学の設備は小・中・高校より遙かに充実していた。これだけの設備がかなり昔から備えられていたことを考えると、大学におけるバリアフリーは昔からかなり進んでいたといえるであろう。
 以上、施設、設備の状況を中心に述べてきたが、これについて思うに、この20年の間に障害者に対する考え方が大きく変化し、より良い方向へ向かっていると実感している。初等教育の段階では、「障害をもつ子供のためにだけ、特別な配慮をするわけにはいかない」という形式的な平等主義が掲げられ、トイレ、教室の場所への配慮など、普通に考えると然るべきハード面での要求を拒絶されることが多かったが、時代が進み、高等教育に進むにつれ、障害者への配慮が特別なものではなく、障害者が健常者と平等の機会を得るために当然あるべきものとの雰囲気が次第に高まってきたように思える。即ち、障害者が、勉学にチャレンジし、自らを高める一人の人間として認められてきて、健常者と平等の機会を与えるために設備上配慮することが、特別な恩恵として捕らえられていた過去の社会の認識が変わってきている。
 但し、ここで一つ述べておかなければならないことは、小学校から大学まで、一貫して共通していることは、私の周りの先生方、多くの友人一人一人は、他の健常者の皆さんと変わらず、私を一人の人間として扱ってくれたことである。ハード面での不満はいくつかあっても、障害者だからといって特別変わったことはない「普通の」学生として過ごすことができた。このことが、私自身が大学で学びつづける動機付けの上で、どれだけ大きな支えになったかは筆舌に尽くしがたい。
 この意味で。私の周囲の精神的なバリアフリーは最先端、超一流であったということができる。これには、素直に深い感謝の軒持ちを捧げたい。
 繰り返しになるが、大学生活について省みるに、大学や先生方、友人の配慮により、特に健常者と変わったことのない生活を送ることができたというのが、私の率直な感想である。障害者であっても健常者と同じように、勉強をし、様々な友人との交流を深めることができたという充実感や満足感を得ることができた。
 一方、ハード面においては、私自身の在学中にも徐々に改善が図られており、気遣いいただいた先生方を始め関係者の方々には感謝の限りではあるが、大学が、障害者にとって、より過ごしやすい場となるように、私が気づいた点を2点ほど挙げてみたい。
 まず一つは、施設のバリアフリーについてである。私は肢体障害者で、歩行ができず、車椅子を使用している。車椅子生活にとって、一番障害となるのは、健常者のみが使用することを目的として建てられた施設である。九州大学は、私が通った学校の中では、最高水準の設備を備えているが、車椅子では行けない場所、車椅子が自由に動けるだけの余裕がない場所が少なからずある。歴史が古い大学で、移転計画もあるので、やむを得ないのかもしれないが、 高等教育・研究機関である「大学」だからこそ、どの施設よりもバリアフリーな場であってほしいと願う立場から辛口を言うと、大学の事務方に私たちのニーズを気兼ねなく申し出ることができる窓口が明確でなかったのは残念な気がした。
 支障無く学生生活を送る上で、何がネックになっているかを積極的に「聞く」ことが、もっとも効率的な改善に直結する策ではないだろうか?
 障害者にとって、「できるだけ皆と同じように生活できる」ということが精神的にとても重要なことである。
 もう一点は、ソフト面であるが、障害者向けの情報が、少ないように思える。「聞かれなければ、発信はしない」のではなく、サービスの一環として、もっと積極的に情報発信していただければと思う。
 多くの障害者にとって、大学が更に開かれたものになるよう、心から願ってやまない。


○長崎大学

 4月から復学し、半年をむかえることになりましたがその中で感じたことを書かせていただきました。
 施設、設備について
 一番の問題となるのがトイレだと思います。体調が悪いときでもそれがお腹にくるものでなければある程度我慢して授業を続けることは可能ですが、そうでない場合は自分で対処できる場所(自分の家のトイレ)まで戻らざるを得ません。実際数回それで授業を欠席せざるを得ませんでした。トイレの様式は障害者用だからといってみんなが使えるとは限らないので一番の不安要素であるトイレについてはもう少し考慮していただけるといいと思います。
 ドアの開閉も大きな問題でした。自動や横に開けるドアはよいのですが、ノブを持って引くという動作はかなり困難です。まして開いたまま自分が入るとなるとほぼ不可能で人の手をどうしても借りなくてはいけません。いつも人がいるわけではないし、授業中トイレに行かなくてはならないこともあるので、その点が不便でした。
 スロープなどはちょっとした段差や傾斜でかなり大きく使い勝手や安全性が変わってきます。雨の時などは、傘が持てない上に車椅子をこぐとき手がすべり危険でした。

 授業、その他について
 授業自体は体調が悪くなければ普通に受けることができると思います。字は筆圧が入らないためインクのペンを使用していますが、それを使えばある程度のメモやテストを書くことは可能でした。
 時によっては掲示を見たり情報を知ったりすることが難しいことがありました。
 授業体制については、それぞれの授業担当の先生方と自分自身が話して理解を得ることは当然大事だと思うのですが、もっと大学全体の統一的な姿勢というのを整えてほしいということを感じました。これから先にも障害を持った人が学生になることもあると思うので、その場その場での対処と同時にその点も考慮した方がいいと思います。
 
 個人的に
 前に言ったスポーツのことですが、体育館やグランドで授業が受けられないというのに加えて、スポーツを月曜に受けるのは医学部では自分だけなので移動に関してもかなり危険があったので、規則で決まっていて特別扱いできないとはいえ、そういう意味で逆に特殊な立場にあるので考慮していただければと思います。

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