61号 OPINION 特集【レジリエント社会の構築に向けて】

あらゆる災害にしなやかに対応する「レジリエント社会」の構築を

 

国立研究開発法人 防災科学技術研究所 理事長
一般社団法人 レジリエンス協会 会長
林 春男

 

東日本大震災発生から今年で 10 年。

その後も大型台風の襲来、集中豪雨による河川の氾濫や土砂災害、火山の突発的な噴火、規模の大きい地震などの自然災害が相次ぎ、今般のコロナ禍という新しい “ 災害 ”も発生した。

災害が引き起こすあらゆる困難にどう立ち向かうか。
その際の重要で欠かせないキーワードが、災害を乗り越える力を表す「レジリエンス」だ。

そしてレジリエンスを実現した「レジリエント社会」が今、求められている。

約 40年間にわたって防災関連の調査・研究、被災地支援や復興に携わり、度重なる災害と対峙してきた林春男氏に、その考えを伺った。

予想外のことが起きるという意識がレジリエンスにつながっていく

「東日本大震災では、災害にまつわる二つのテーゼが証明されました。一つは、大きな災害時は必ず予想外のことが起きるということ。もう一つは、普段やっていないことはもちろん、普段やっていることさえ災害時はできないということ。そして正直なところ、東日本大震災はもっと被害を小さくできたのではないか、もっと早く復興を実現できたのではないかという想いがあります」

10年前の未曽有の大震災を振り返り、そのように語る林氏は、1980年代以降の主な自然災害の発生時、被災地の調査・研究や支援などに携わり、国や自治体のアドバイザーとして防災・減災に尽力してきた。
1974年3月、早稲田大学第一文学部心理学科を卒業した林氏は、同大学の大学院文学研究科修士課程、博士課程と進学し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院心理学科博士課程に入学。修了後は弘前大学人文学部の専任講師に就く。その翌月の 1983年5月26日、当時日本海側のエリアでは最大級の地震となった日本海中部地震が発生した。

「地方の国立大学に身を置く者として、地域が抱えている大きな問題を見過ごすわけにはいかないという、ある種の使命感が湧き、学内から各領域の専門家を集めて全学あげて被災地の調査・研究を始めました。それが防災の世界に足を踏み入れたきっかけです」

1988年9月からは広島大学に総合科学部助教授として勤務。1991年9月、東北地方で「りんご台風」と呼ばれた台風 19号が日本列島に甚大な被害をもたらし、広島市内でも大停電が発生した。

「いくつもの災害現場での調査を通して全国の災害研究者とも顔見知りとなり、社会現象の災害を専門的に研究すべく、1994年4月、京都大学防災研究所の地域防災システム研究センターに助教授として転任しました」

1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生した。林氏は神戸市、兵庫県の復興委員会に関わり、復興過程の研究に従事。その後も新潟県中越地震・中越沖地震や東日本大震災では、国や自治体が行う被災者支援、被災地の復旧・復興活動などに参画し活動を続けた。
2015年10月からは、国立研究開発法人防災科学技術研究所(以下、防災科研)の理事長となり、その一方で、産官学と協働してレジリエンスの評価手法の確立を目指す一般社団法人レジリエンス協会の会長も務めている。

「ISO(国際標準化機構)の ISO/TC 292(セキュリティとレジリエンス)という専門委員会に、2007年以来エキスパートとして関わっています。そこでのご縁から、産官学連携によるレジリエンスの実践をサポートできる場と考え、レジリエンス協会の活動にも参画しています」

約 40 年間にわたり、被災した人たちや被災した地域がどのような体験をし、そこからどのように立ち直っていくかをテーマに、調査・研究や支援を続けてきた林氏。その中で、東日本大震災については、阪神・淡路大震災と比較して考えると話す。

「明らかな違いは圧倒的な被災の広がりです。阪神・淡路大震災は強い地震動によって阪神地域の建物が密集した場所が壊滅的な被害を受けている。まさに「凄惨」という印象でした。それに対して東日本大震災は、津波による被害の特徴として、大きな被害を受けた場所のすぐ近くにほとんど被害を受けていない場所がたくさんある。ある線を境に全滅と無傷という大きなコントラストがありました」

そして、災害時は必ず予想外のことが起きるというテーゼを起因とする被害規模の違いが、東北の各地で現れたと林氏は説明する。

「亡くなった方が岩手県は 4 千人台なのに対し、宮城県は 1 万人を超えました。なぜそれほど差が出たのか。マグニチュード 9.0という大地震はどの地域にとっても予想外だったかもしれませんが、岩手県の沿岸部の人たちは過去に何度も津波で被災した経験がある。それに対し、宮城県の沿岸部、特に石巻から南側にある仙台平野に居住する人たちにとっては、津波の経験はほとんどありませんでした。そして、『高さ2m の堤防があるから大丈夫だろう』と安心していたら 3m の津波がやって来て内陸まで押し寄せてくるという予想外の展開になったわけです。実は、その予想外のことに対する意識こそ、『レジリエンス』の考え方につながるのです」

多重なアプローチにより災害と向き合う「しなやか社会」へ

防災科研では、2018年に自らのアイデンティティを新たに問い直し、その中で「生きる、を支える科学技術(SCIENCE FOR RESILIENCE)」というキャッチフレーズを掲げた。和文と英文を照らし合わせると「生きる、を支える」ことが「レジリエンス」という形になっている。「レジリエンス」、そして「レジリエント社会」とはどのような意味を持つのだろうか。専門家によっても解釈が異なるが、林氏は「強くしなやか」、そして「しなやか社会」と考えている。

「強くしなやかであることが社会に求められるのは、阪神・淡路大震災で証明されました。その前年、米国ロサンゼルスで高速道路が崩壊するなどの被害をもたらしたノースリッジ地震が起こった際、日本の工学者の多くは『我が国ではこんなことは起こらない』と断言しました。ところが 1 年後、それは間違いであることがわかり、極端に言えばそれまでの日本における防災のパラダイムが破綻しました。確かに「エンジニアドな」構造物に被害は少なかったのですが、それは都市空間の一部にすぎないということが露見したのです。構造物単体ではなく社会に目を向けた時、『予防力』あるいは『被害抑止力』は決して十分ではなく、そこで『レジリエンス』が大事ということが明らかとなったわけです」

堅牢な構造物で被害を出さないようにしようとしてきた構造工学を中心とするアプローチは限界に近づいており、今後の伸びしろは小さいのでは、と林氏は指摘する。

「社会全体としての防災力を高めるにはそれ以外のこと、つまり被害が出るであろうことを前提にして、どのようにして早く元に戻していくか、今そこにある苦しみをどのようにして減らすかというところを考えるべきではないのか。粘り強さを意味する『弾性』の考え方を導入する必要があります。それだけでなく、かたくて丈夫な堅牢さに対応する『靭性』、災害を契機として新しい形を導入する『塑性』の考え方をも加味した多重なアプローチをとっていかなければなりません。それが『レジリエンス』であり、具現化したものが『レジリエント社会』、つまり『しなやか社会』なのです」

さらにレジリエンスが社会に必要な理由の一つに、林氏は近年の水害に象徴されるように災害が甚大化していることを挙げる。

「これまで災害を引き起こす誘因(ハザードとよぶ)は『自然現象だからほぼ定常の状態』と考えられていたので、我々の被害抑止力のレベルが上がっていけば被害は結果的に小さくなると信じられてきました。ところが、気候変動の影響で異常ともいえる極端気象が生じている現在、ハザードそのものが激化していくという認識を持たなければいけなくなりました。被害抑止力は限界に近づきつつあり、対策を総合化することの必然性が高まっています。その結果、『総合の力』であるレジリエンスが必要になったのです」

林氏は「レジリエンス」という言葉をいつ頃から使い始めたのだろうか。

「2008年頃、京都大学防災研究所が NTTと包括連携協定を結び、防災分野の共同研究を行うことになりました。テーマを決めるにあたって提案したのが『レジリエンス』です。防災とICTの観点から理想的なレジリエント社会の在り方を徹底的に議論し、『しなやかな社会の創造』という本にまとめました。東日本大震災では、まさしく本に書いたことが起こり、研究会のメンバーたちも驚いたものです」

林氏は東日本大震災以前からレジリエンスというキーワードで、災害と向き合う社会の在るべき姿を先読みしていたのである。

「予測 · 予防、応急対応、復旧·復興」を総合的に行使するものがレジリエンス

社会が目指すべきレジリエンスの捉え方について、林氏に詳しく説明していただいた。

「国の文書では、レジリエンスに『国土強靭化』という訳語を対応させることが一般的です。強靭というとどうしても『靭性』が中心的になってしまうのですが、レジリエンスでは『靭性』、『弾性』、『塑性』のすべてが含まれなくてはなりません。もう一つ大切なポイントは、『レジリエンス』とは本来『ナショナル・レジリエンス』であるということ。『国破れて山河在り』という故事ことわざがあるように、何か事変が起きても国土は残ります。ところが、国民が自国に住めなくなったり、国家の体制が変わってしまったりするかもしれません。だから、レジリエンスは国土よりも、national(国民、国家)を対象とすべきなのです」

さらに林氏は、レジリエンスには「予測・予防、応急対応、復旧・復興」が必要と話す。

「すでに『予測・予防』は災害の種類ごとに学問として成立していますが、実際に災害が起きてしまった後のことは学問の領域外ということにされてきました。今後は『応急対応』と『復旧・復興』について、つまり社会現象としての災害についての科学的な理解を深めることが急務です。本来は『予測・予防、応急対応、復旧・復興』を総合的に行う、“All Phased Disaster Management” であるべきなのです。それを端的に表すキーワードとして『レジリエンス』がふさわしいと私は思っています」

「自律 · 分散 · 協調」型の社会は大規模 “ 災害 ” にも強い力を発揮する

昨今、コロナ禍という経験したことのない“ 災害 ” が日本社会に大きな変化をもたらした。特にテレワークの進展で、通勤せず、会議室に足を運ばなくても、仕事ができるようになったことなどで、我われのライフスタイルが劇的に変わりつつある。

「ICT が進展する中、Society5.0 への進化を目指してはいるものの、現在の社会はまだ Society 3.0 の工業社会の延長線上にあると思っています。実際、中央集権的な社会の仕組みが、未だにいろいろなところに垣間見られます。今後はそうした過去の仕組みが変わっていくのではないでしょうか」

中央集権的、大都市集中型の次に来るであろう日本の社会は、「自律・分散・協調型の社会」であると林氏は語る。

「一つひとつは小さいけれど自律性があり、空間的には散らばっていても電子的につながり、アクションとして一つの大きな塊となって動けるような社会。それほど大きくないコミュニティが無数にあって、相互につながっている状態。そういう社会の方が強いのです。東北は個々のコミュニティは大きすぎず、レジリエントな要素をたくさん持っているエリアだと考えています。東日本大震災の被害は甚大で、私たちの想像をはるかに超えたものでした。ですが、逆に言うとあれだけの巨大な地震や津波に見舞われたら、さらに大規模な被害が出ていても不思議ではなかったと思います。個人的な印象ですが、ニューノーマルというのは産業革命以来の中央集権的・大都市集中型の社会から、自律・分散・協調型の社会への移行のきっかけになるのではないかと思います」

レジリエント社会の構築に必要な知の統合を実現できるのは国立大学

「日本は明治以来、欧米の列強に追いつき追い越せという国策のもと、意図的に理学や工学にフォーカスすることで産業の発展を図ってきました。そのぶん人文・社会科学は軽んじられる傾向にあったことは否めません。しかし、レジリエンスを実践するためには、もともと私の専門である社会科学も含めて、あらゆる領域の『知の統合』が必須です。最近は『総合知』という概念が国の様々な基本計画で取り上げられているように、知の統合の土壌が出来つつあると感じています」

知の統合を実現できるのは国立大学である、と林氏は話す。

「視野の広さ、所属する人材の多様性などを考えると、やはりポテンシャルは国立大学にあります。知の統合の実現に向けてぜひ率先して取り組んで欲しいですね」

国立大学のミッションは全国津々浦々に高等教育を分散させること。それは知を通して「しなやか社会」づくりを進めるという意味では防災にも通じるものがあると考えられる。

「『自律・分散・協調』を実践する際、大前提として、その地域を愛している、帰属意識を持っていることが大事です。地域をどのようにしてサスティナブルに継続していくかをデザインする、その資格を与えられた人たちが集まっているのが国立大学だと思います。地域の中核になっていく人たちを養成しているわけですから」

国立大学こそがレジリエント社会の担い手になり得る。そんな期待が感じられる林氏からのメッセージだった。

林 春男(はやし はるお)
1951 年東京生まれ。

早稲田大学文学部心理学科卒業、早稲田大学大学院修士課程修了。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院博士課程に留学、博士号(Ph.D.)取得。弘前大学人文学部、広島大学総合科学部などを経て、京都大学防災研究所巨大災害研究センター教授に就任。現在は、国立研究開発法人防災科学技術研究所理事長、一般社団法人レジリエンス協会会長を務める。専攻は社会心理学(災害時の人間行動/防災心理学/日系人の強制収容体験)。「しなやかな社会の創造」「しなやかな社会への試練」「しなやかな社会の挑戦」(共著)など著書多数。

※写真撮影時のみマスクをはずしています。