第3部 資 料
大学審議会「大学入試の改善について」(中間まとめ)に対する意見

平成12年5月25日
国立大学協会
第2常置委員会

 大学審議会が提案された数々の内容に関して国立大学協会第2常置委員会としても同意すべき点は少なくないが、なお、慎重にご審議いただきたい点があり、以下にそれらを列挙する。

全体について
1. 大学によって異なる入試と入試改革の必要性について
 「選抜」から「相互選択」へ、入学者選抜の転換を図りたいとする方向性は評価できる。しかし、すでにわが国の大学は相当程度多様化しており、入試改革の必要性も大学によって異なるといわざるを得ない。依然として競争選抜を念頭に入試を考えなければならない大学もあれば、学生の多様化に対応して大学入学の最低資格をいかにして確保するかという点で頭を悩ませている大学もある。したがって、入試改革の提案もまた、それがどのような大学を念頭においているかによって、受け止め方もそれぞれに異なることから、その点を十分踏まえてなされる必要があろう。

2. 大学及び高校教育改革と連動した入試改革を望む
 大学関係者にとって、今日差し迫った問題のひとつは高校以下の準備教育と大学教育とをいかに連携させ、接続させるかである。そのため、入試改革は何より現在進行中の大学教育改革と整合的な内容でなければならない。また高校教育においても、教育内容の個性化、ゆとりの創出など、多くの新しい課題が突き付けられ、それに比例してスケジュールはますますタイトなものとなっている。そのため、大学入試日程の前倒しなどは、改革策の如何にかかわらず、強い反発を招くのがつねであった。したがって、大学入試センター試験(以下「センター試験」という)の複数回実施などは、大学関係者の要望と異なるばかりか、高校の教育スケジュールに対しても大幅な変更を強いるものであり、このようなセンター試験改革が、はたして今日最優先されるべきものであるのかどうか、疑わしいといわざるを得ない。

3. センター試験の制度的整備を望む
 センター試験は選抜試験ではなく高校教育の到達度評価(高校教育の基礎的な達成の程度を測る)、選抜資料の一部とするという理念のもとにスタートした。しかし、実態としては、おおかたの大学において大学入学者選抜の(選抜)試験として利用されている。この矛盾は単に大学側の解釈の違い、理解不足といったことに帰せられることではなく、高校教育の到達度評価を大学入試センターとして行うという根本的な事由にもどって検討するべきことでもある。また、具体的にいえば、かねてより要望されている生物と物理の選択を可能にする、またセンター試験の成績の事前開示を実現するなど、センター試験制度の整備の観点から解決が図られなければならないことも多く存在する。

4. センター試験を資格試験的に利用することの非現実性
 センター試験をその制度的な理念にしたがって、高校教育の到達度評価であるとするなら、センター試験を1次の選抜試験として用いる資格試験的な利用はこれと矛盾する。また、センター試験の得点に関して、各大学、学部がその資格基準を事前に明示する手続きについても、試験問題も、志願者数の程度もわからずにそれを実施することは現実的とはいえない。唯一可能なのは、資格基準をできるだけ低く設定し、それを公表することであるが、それでは入学者選抜の判定は個別試験の結果のみに依存し、センター試験を実施する意味はほとんど無くなる。一点刻みとの批判もあるが、センター試験と個別試験の結果を組み合わせ、総合して評価するという方式はむしろ大学関係者の評価を得ている。工夫、改善の余地はあるにしても資格試験的利用よりも、より現実的な有用性を尊重したい。

5. センター試験の技術的課題の解決を先行すべし
 提案されている、センター試験成績の複数年利用にせよ複数回実施にせよ、試験問題の等化、成績の標準化など、共通試験として解決すべき技術的課題がまず優先されなければならない。これらの解決なしに、「良いほうの成績を採用する」、「資格試験的な利用をする」といった個別的な対応を先行させることは混乱を助長し、これまでに培われてきた共通試験への信頼性を失いかねない。また、「公平性の見直し」についても、それは受験生、社会の受け止めかたに依存するところであり、それなしには意味があるとはいえない。

6. やり直しの基本は年齢主義の打破ではなかったか
 「やり直しのきく入試」という主張は元来、年齢主義の打破にその根拠を置いていた。社会の生涯学習化のもとで、いかなるライフステージにおいても大学教育にアクセスでき、それを享受できることを「やり直しのきく」教育システムと表現してきたはずである。しかし、中間まとめでの「やり直し」の議論はひたすら受験機会の複数化、それも新卒者の「やり直し」に終始しているかに見える。受験機会の複数化についていえば、国立大学においても、分離分割の徹底、推薦入学、AO入試の導入など、受験機会の複数化は十分にその実をあげているといえる。その意味で、提案されている「やり直し」がそれほど強い社会の要請とは考えにくい。

具体的改善方策についての意見
1.  能力の多面的な判定
総合的な試験の導入
 諸外国では、高校成績、アチーブメントテストなど、基本となる学力評価を前提としたうえで、補助的な評価の役割を総合試験に期待しているのが一般的である。わが国では、評価の基本となる選抜資料、試験の内容が曖昧なまま、総合試験の利用が推奨されているきらいがあり、これはより慎重に検討すべきことがらである。また、総合的な試験を課すことによって、新規の教育課程に盛り込まれている「総合学習の時間」の内容をも規定してしまうおそれがある。
リスニングテストの導入
 リスニングテスト導入の趣旨には同意すべき点が多い。だが、多くの専門家が共通して指摘しているように、実施にはさまざまな障害が予想され、センター試験全体の実施を困難にする恐れもある。現状では、強引にセンター試験にリスニングテストを含めるよりも、各大学、学部が必要に応じて個別試験へリスニングテストを導入することがより現実的であり、実施の効果も高いと考えられる。
2. やり直しのきく入試システムの構築
年度内複数回の実施
 中間まとめにも述べられているように、センター試験の複数回実施を現実化するには現状では、センター試験の段階別評価、あるいは資格試験的な利用が不可欠の条件となる。しかし、その問題点についてはすでに記したところである。別の観点から、複数回実施への疑問を述べるとすれば、センター試験は適性検査ではなくアチーブメントテストであるということも十分考慮しなければならない。適性検査では個人の値はそう容易に変動することは考えられず、複数回の実施は結果の信頼性向上に寄与するが、アチーブメントテストの場合はこのような条件のもとにはない。よほど短期間での複数回実施でなければ、信頼性を増すことにはならず、また他方では、短期間での複数回実施は試験制度的にみてあまり意味がないともいえる。
センター試験成績の複数年利用
 複数回実施と同様、センター試験の資格試験化を前提とできるなら別だが、そうでなければ、センター試験の成績標準化、年度間の難易差調整など技術的課題の解決が先でなければならない。その解決を待たずに実施に踏み切ることは不公平のそしりを免れない。また成績の複数年利用によって、難関といわれる大学・学部においては再受験組みの浪人が増え、競争は過熱する可能性も高い。
3. その他
事務職員等の積極的な活用や入試専門組織の整備
 中間まとめでは「入試業務への教員の関与を選抜の本質的な部分へ集中し、その他の部分については事務系職員、大学院生等の積極的な活用を図る」と述べられている。しかし、すでに現在においても過剰といえるほどの業務を事務系職員に託しており、人員の増員が見込めぬ以上これ以上の負担をかけることは到底困難といわねばならない。また大学院生等を利用するという提案についても、その責任をどのように求めることができるのか、発生した事故の対応、処理などを考えれば、安易に部外者の要員を募ることは控えなくてはならない。
成績の開示
 入試成績の事後開示についてはすでに国大協としての考えを示している。残されているのはセンター試験の事前開示であり、複数回実施問題とは別に、その改善の可能性を示す必要がある。
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