第55号

2019年12月

広報誌「国立大学」 第55号
文化・芸術が創造する未来の知

LEADER’S MESSAGE

京都という地で文化・芸術と科学の融合:デザインシンキングによるイノベーション

森迫清貴

京都工芸繊維大学長

森迫清貴

京都という地

そもそも京都とはどのような都市だったのだろう。平安京遷都の794年から1869年の天皇家の東京への移住までの千年以上の間、長期安定的な都として文化を醸成し続けていた。徳川幕府の成立後、政治の中心は江戸に移るが、天皇と寺社の本山は京都に所在し、文化的な中心地であり続けた。17世紀の前半までは日本最大の都市であり、その後も江戸・大坂と並び三都と称せられていた。江戸時代中期からは観光都市としての性格が強まり、寺社を中心とする名所、鴨川河畔などの歓楽街、それを伝える「都名所図会」などのガイドブックも出版されている。もう一つの京都の顔、それは日本最大の工業都市であり、特に高級品の生産に強みを発揮していた。そのブランド力は全国的に知られており、京都の鏡や扇子、あるいは羽織や帯などの商品は重宝されていた。天皇家が東京に移ると公家も共に移住し、御用達の商人も東京に移った。さらに上知令によって寺社にも衰えが見え始めた。このことは、京都の文化・産業の衰退につながることになる。

この危機に最初に立ち上がったのは京都の住民である。1869年に地縁組織である町組を再編し、その核として小学校を中心とする「まちづくり」を始める。都市再生はまず教育、すなわち人づくりからという未来を見据えた取組である。一方で、京都府は「京都策」と呼ばれる近代化政策に着手し、農業、工業、商業の三つの業を勧める「勧業場」という施設を1871年に設置する。この内部に「舎密(せいみ)局」という化学研究施設が設置される。ワグネルを指導者とする舎密局は陶磁器の量産化などにも貢献し、京都の近代化産業の礎となり、数多の京都発企業を生むことにつながっている。この1871年には、京都復興を目的とした「京都博覧会」を開催している。さらに1895年、平安遷都1100年紀念祭として第4回内国勧業博覧会が東京以外の地で初めて開催された。この年、琵琶湖疏水の発電事業で市電が開業している。
 
京都は、歴史と文化ゆえに国際的に著名であると同時に、革新的な街であり、現在も本社を京都におくことがブランドであると考えている企業も多い。

京都工芸繊維大学

前身校は、1899年設置の京都蚕業講習所と1902年設置の京都高等工藝学校である。2019年で1899年から120年を経たことになる。「繊維」の源である京都蚕業講習所は、その後京都高等蚕業学校、京都高等蚕糸学校と改名している。一方、「工芸」の源である京都高等工藝学校は、東京、大阪に続く第三高等工業学校として企画されたが、設立委員であり初代校長の京都帝国大学理工科大学教授中澤岩太(無機化学)は、西欧の実業学校を視察するとともにパリ万博の出品調査を行って帰国し、開学の趣旨に「美術工藝の学理とその応用の技術才能を授け、因習的傾向を持つ美術工藝界に刷新の気を与える人材を養成する」と記し「、工業」ではなく「工藝」という名称を採用した。中澤は、工藝学校の基礎教育に絵画教育が必要とし、パリで洋画家の浅井忠に図案科教授の就任を要請し快諾を得ている。創設準備のため東京帝国大学工科大学造家学科を卒業した武田五一も留学を命じられており、帰国後着任し、関西で最初の建築教育が始められた。浅井や武田がヨーロッパから図案教育のために持ち帰ったポスターや工芸品、彼らの作品は本学美術工芸資料館に収蔵されている(下写真)。

【美術工芸資料館収蔵品】

「歓楽の女王」トゥールーズ= ロートレック, アンリ・ド1892
「ノルマンディ号」カッサンドル, アドルフ・ジャン= マリー・ムーロン1935
「第18 回東京オリンピック 1964年」亀倉雄策 他1962
「梅図花生」浅井忠1902-1907

1944年に官立専門学校となった二つの学校は、1949年にそれぞれ繊維学部、工芸学部として京都工芸繊維大学となった。2019年で大学としては70年である。国立大学法人化後に両学部を統一し、日本で唯一の工芸科学部とした。「工芸科学」とは、科学技術における先端的分野の研究開発を進めるにあたり、人間の真の豊かさの実現に資し、自然・人間社会との十分な調和を図る高次元レベルのテクノロジーを指向するものであり、人間の感性の充実や精神的な潤い、自然の保全などとの関係を強く意図したソフトテクノロジーのことである。これは、博士課程大学院研究科の設置にあたり30年程前に本学第6代福井謙一学長により提案された。
 
その工芸科学の理念も踏まえ、1999年の開学100周年・大学50周年の時、「科学と芸術―出会いを求めて―」を掲げ、講義と実習制作を行う授業科目群を実施した。現在は、京都の伝統工芸を軸に、「知」と「美」と「技」の授業科目群を展開している。

デザインシンキングによる社会・産業変革

現在、日本は少子高齢化、低経済成長という課題が表面化し、急速に深刻化してきている。特に人口減少という事態は、明治維新や新制大学が設置された太平洋戦争後にもまして、実感しにくい変化ではあるが危機的な状況を招きかねない。また、今の日本はモノがない、あるいは不足しているという非常事態とは異なり、モノはあるかも知れないが、将来への不安、あるいは目標が見えないといった人間にとって極めて厄介な状況である。
 
今必要なのは、明治の京都の町組を倣い、やはり人づくりである。小学校からの見直しも重要であるが、人類全体にとっての高等教育での取組である。それは、明治のときのように先例があるわけではなく挑戦する高等教育でなければならない。何をつくり、何を提供すればよいのかが見えないとき、これまでの価値観、方法に固執していたのでは未来を照らす灯りは見えてこない。
 
本学では学部・大学院を通じて「テック・リーダー」を養成することを目標に掲げている。テック・リーダーとは、専門分野の知識・技能を基盤として、グローバルな現場でリーダーシップを発揮してプロジェクトを成功に導くことのできる人材をいい、「専門力」、「リーダーシップ」、「外国語運用能力」および「文化的アイデンティティ」の4つの能力獲得を目標としている。
 
さらに、今年度から、これからの社会イノベーションを牽引する産学公連携、国際連携による博士人材育成プログラム「デザインセントリックエンジニアリングプログラム(dCEP)」を開始した。dCEPは国立大学機能強化によるKYOTO Design Labで実施してきた国際的に著名なデザイナーによる様々な社会課題に対するワークショップとスタンフォード大学の産学連携授業科目ME310の日本拠点として継続的に参加してきた経験から構想したプログラムである。ここでは課題の抽出・分析にデザインシンキングが強力なツールとなる。社会や産業に画期的なイノベーションを起こすには既存の技術にとらわれない、バックキャスト(将来予測、目標)指向の研究開発が必要であり、それには細分化された専門領域を超えた異分野融合が不可欠である。dCEPのような産学公が協働して博士人材の育成に取り組むことで、企業などに有用な博士学位取得者を研究開発プロジェクトリーダーとして供給することが可能となり、社会・産業イノベーションに貢献できる。

デザインシンキングには、人を軸にする姿勢が重要である。工芸科学にあった人間の感性の充実や精神的な潤いを醸成する芸術や文化への弛まぬ関心、それらをかたち創る人間への理解が欠かせない。大学における高等教育の重要な目的の一つは、自己が存在する環境や他者を理解し、自ら深く考えることのできる基盤を築くことである。その結果、科学技術の進展や文化の創造や深化を生じさせ、社会の安定と人類の普遍的な幸福に寄与することになる。芸術・文化は人を引き寄せる力があると同時に、知識を智力に引き上げる潜在的能力の醸成に資するものである。真のイノベーションに文化力は不可欠である

デザイン主導未来工学センター(CdE)パンフレット表紙(ME310/SUGARで開発したスマート水上マシン)

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