現代演劇界の第一人者として教育や文化振興などに幅広く携わる
「演劇が万能薬だとは思いませんが、これからの教育や社会づくりに果たせる役割は大きいはずです」
劇作家・演出家として演劇の新たな可能性を追究してきた平田オリザ氏はそう強調する。平田氏は、西洋演劇の方法論に則った日本の現代演劇の在り方に一石を投じる「現代口語演劇」を提唱し、その理論に基づく多くの演劇作品により国内外で高い評価を得る。精力的な創作活動と並行して、演劇の手法を取り入れた教育研究活動にも幅広く携わってきた。
「本業はあくまでも演劇を作ることですが、プロの役者向けに私が開発した演劇のワークショップの手法が高校生の授業にも役立つことが分かってきて、その評判が口コミで広がるうちに教育のお手伝いをする機会が自然に増えていきました」とこれまでの活動の経緯を語る。
アメリカの大学などでは演劇が持つ力が広く認知されており、医者や弁護士を目指す学生が副専攻に演劇を選ぶことも珍しくないという。演劇を学んだ者はコミュニケーション力や表現力に長けた人材として評価されるのだ。一方、日本では演劇による教育効果が注目されることは少ない。
「なぜなら今までは、みんなを同じ価値観に当てはめる教育で高度経済成長が成し遂げられ、多くの人が幸せを感じることができる時代だったから。しかし、これからは異なる価値観を持つ人が互いを認め合って共生する社会にシフトしていきますから、教育も変わる必要があります。そこで演劇の力が大いに役に立つでしょう」
平田氏と大学教育との本格的な関わりは、2000年に桜美林大学が演劇コースを新設する際、助教授として招聘されたのをきっかけに始まる。ここで平田氏は、市民社会に開かれた新しい演劇教育の開拓に取り組み、日本初のリベラルアーツとしての演劇コースを軌道に乗せた。
2006年には大阪大学で後に総長となる当時の鷲田清一副学長に乞われ、同大学コミュニケーションデザイン・センターの教授に就任。大学院の教養教育に演劇の要素を取り入れた教育改革に着手するとともに、社会と演劇の接点を生み出すことを目標に、ロボット研究の第一人者である石黒浩教授と共同で「ロボット演劇プロジェクト」をスタートさせた。
「石黒教授は『社会に入っていけるロボット』の開発を目指していたのですが、どうしても人間らしい自然な動きが作れなかった。そこで私がロボットに細かな演出を加えたところ、見違えるほどリアルな動きに変わりました。石黒教授は『芸術家は先に答えを知っている。それを工学者が分析すれば、一から統計を取るより圧倒的に速く確実に成果に辿り着ける』と言います。このロボットを使用した演劇作品は、多方面からの注目を集め、もう十年くらい世界中で上演を行っています」
その後2010年から四国学院大学で学長特別補佐として、地域の大学における演劇教育の可能性を追究。2015年には東京藝術大学COI拠点特任教授に就任し、芸術と科学技術の共感覚イノベーションをテーマに、産学連携によるロボット・パフォーミングアーツの研究を推進。美術学部と音楽学部の学生によるロボットを使ったアート制作の授業を行いながら、“心を育む” 教育的コンテンツの開発やロボット観光拠点の開発を目指している。また2017年からは大阪大学COデザインセンター特任教授として新たな教育研究領域への挑戦を続けている。
演劇を取り入れた教育が多文化共生社会に必要な力を育成
これまでに平田氏が様々な人を対象に実践してきた演劇教育は、プロの役者を育てることを目的とするものではない。その主眼は、演劇の力を利用して、これからの多文化共生社会でますます重要となる他者とのコミュニケーションについて学ぶことに置かれている。
「私が高校などのワークショップで多用してきた教材の一つに、『列車の中で他人に話しかける』というスキットがあります。四人掛けのボックス席で目の前の乗客に『旅行ですか?』などと話しかけるシンプルなものですが、実はこれが子どもたちにはうまく言えない。なぜなら現代の子どもの多くは、少子化や地域社会の変質などもあって、見知らぬ他人と話した経験がほとんどないからです」
さらに平田氏は、日本人はもともと等質性が高く、他者との対話や議論に慣れていないため、大人でもこうしたコミュニケーションを苦手とする人が少なくないと指摘する。そこで演劇という体験を通して、自分が普段使っている言葉にはないセリフを口にしたり、どういう気持ちでこの言葉を使っているのかを探ることで、他者との「コンテクストのずれ」を意識させていく。
「コンテクストとは本来は文脈という意味ですが、ここでは『どんなつもりでその言葉を使っているか』の全体像を指します。例えば演劇の台本に『砂漠』と書いてあった場合、砂だらけの風景を思い浮かべる人もいれば、あちこちに岩やサボテンがある風景をイメージする人もいる。こうした様々なコンテクストのずれを放置したまま芝居をしようとしても、まともな演劇は成り立ちません。他者との違いを自覚してすり合わせを行うこと、それはすなわちコミュニケーション能力育成の基盤にある『他者理解・多様性理解』を促すことにつながるのです。学校や職場でのいじめの問題も、国家間の摩擦の問題も、その根底にはこうしたコンテクストのズレがあると思っています」
さらに平田氏は、演劇を活用した教育には生徒一人ひとりに居場所を作り、意欲や自信を育てる効果もあると言う。もし声が小さい子がいたとしても「声の小さい子の役」をやらせれば、その子は誰よりも上手に演じることができ、やる気や自信が湧いてくる。実際、平田氏の演劇を使ったコミュニケーション教育を受けた小学生は、中学校に進学してからも授業で積極的に手を挙げる傾向が見られるそうだ。
同じように大学においても演劇教育は高い効果を上げている。平田氏いわく、授業の後に実施するアンケートの結果を見ると、学生の満足度は常に圧倒的に高いとのこと。これについて平田氏は、大学の中だけで閉じていない「本来の知」を教えているからだろうと説明する。
「私は大学だけでなく、様々なフィールドに招かれて演劇教育を実践することで、教える力が鍛えられてきました。小学生、障害のある人、日本語を勉強している外国人など、幅広い人と接する中で蓄積された知見は応用性が高く、大学生を相手にした授業でも非常に有効なのです。大学で教えるべき『本来の知』というのは、このようにいろいろなところで横断的に応用可能なものだと思います」

個の本質やコミュニケーション力を見極めるうえで演劇は有効
教育の場で演劇が力を発揮するのは授業だけにとどまらない。平田氏は、入試で受験生の本質を探るためには演劇を取り入れてみるのも一つの手だと言う。
「これからの入試は優劣を数値化してふるい落とす装置から、次の学びのステップとなるものにしていくべきです。これまでの入試では、例えば受験生同士でディスカッションなどをさせても、等質性の高い日本の子どもはすぐに議論の落としどころを見つけようとしてしまい、それぞれの個性や能力が見えてきませんでした。そこに演劇というフィクションの力を導入すると、議論は格段に活性化し、一人ひとりの価値観や本当のコミュニケーション力が引き出されるのです。受験生自身にとっても新鮮な自己発見の機会となり、次の成長につながるはずです」
既に平田氏は大阪大学大学院や四国学院大学で、演劇を取り入れたグループワークと面接を組み合わせたユニークな試験を導入し、確かな手応えを得ている。
「個の本質を見る『定性評価』を行うのに、演劇は非常に有効な手段。試験官を務めた教員からも、面接だけの試験よりも学生一人ひとりの特徴がよく分かると好評です」
さらに今、大学教育分野における平田氏の新たな取り組みとして注目を集めているのが、2021 年に兵庫県豊岡市に誕生する専門職大学「国際観光芸術専門職大学(仮称)」(認可申請中)の学長への就任(学長候補者)だ。これに先立つ2015年から平田氏は、同市にある「城崎国際アートセンター」の芸術監督を務め、2017 年から市内38 校の小中学校で演劇によるコミュニケーション教育をスタートするなど、同市との関係を着々と深めてきた。
「豊岡という土地はもともと外部の人を受け入れるオープンな風土があり、志賀直哉の小説でも知られる城崎温泉に国内外から多くの旅行者が訪れるなど、芸術と観光を柱とする新しい教育を行うのにふさわしい場所だと感じていました。ここにできる新しい大学では、演劇をリベラルアーツの基盤においてコミュニケーション能力を養い、様々な教養の力で自分の人生を設計できる人間を育てていきたいと考えています」と抱負を語る。
地域に大学ができることにより、演劇のワークショップが行える多くの教員もやってくる。彼らが地元の高校で教えることで、高大接続による高度なアクティブラーニングも可能となるだろう。また、地域、企業、大学が協力して豊岡を世界的な演劇の街にするプロジェクトも始まっており、2019年には第0回の国際演劇祭も実施された。目標はフランスのアヴィニョンに匹敵する世界最大規模の演劇祭に育てること。「豊岡なら勝算は十分」と平田氏は自信を口にする。
「この演劇祭で大学生はインターンシップの一環としてアートマネジメントや文化観光政策を学ぶことができます。また、企業にとっては新たなビジネスのヒントを得る場になるでしょう。学生、地域、企業を結びつけ、地域活性化や地方創生のコアとして機能する大学にしていきたいですね」


国立大学の役割は
社会全体の中で位置づけられるべき
新しい時代に対応するために改革を推進することが、あらゆる大学に求められている今、国立大学はどのような取組に力を入れていくべきだろうか。世界を視野に入れて大学の変化に注目してきた平田氏は、改革のポイントとして「異分野・多文化の融合」を挙げる。
「これからのイノベーションは、テクノロジーとリベラルアーツの融合からしか生まれない、というのが世界の趨勢です。だからこそハーバードでもMIT でも、理系の大学院生がアートの授業を受けることが必須になっている。技術開発にお金を注ぎ込むのもいいですが、それよりも人の発想力全体を底上げする方が、圧倒的に安いコストで確実に革新的な成果を生み出せるのです」
先に紹介した大阪大学のロボット演劇プロジェクトは、まさに異分野融合の成功事例だ。芸術と工学という異なる分野の発想と価値観が出合ったことで、劇的な化学変化が起き、誰も見たことのない革新的成果が生まれた。このような異分野・多文化の融合によるイノベーションこそが大学の最大の価値である、というのが平田氏の考えだ。さらに国立大学の目指す方向性として、「国を豊かにするための教育」をつくっていくべきだと訴える。
「昭和30年代のことですが、豊岡出身の東井義雄先生という有名な教育者が『村を捨てる学力』『村を育てる学力』という概念を提唱しました。これは東京や大阪に良い子どもを送り出す教育に疑問を呈し、本当に大切なのは、共同体を育み、発展させる教育ではないか、と論じた画期的なものです。国立大学の教育も、世界で戦える競争力のある人を育てるだけではなく、これからの豊かな社会を作っていくために本当に必要となる人材を育てるべきだと思うのです」
国際競争力という強迫観念にとらわれるあまり、目指すべき国や社会についてのビジョンもないまま闇雲にグローバル教育を推し進めることに平田氏は警鐘を鳴らす。
「各都道府県にある国立大学は、地域の様々な芸術や文化を支える人材を育てるうえで重要な役割を担ってきました。多種多様な知識・知性を地域に豊かに蓄え、その流出を防ぐ『知の防波堤』『知のダム』なのです。このことを忘れて国際化や効率化といった原理のみで大学教育を考えてはいけない。大学個別の経営ばかり優先するのは、部分最適が全体最適を壊す典型的な事例です。国立大学というのは、大学だけの機能ではなく、社会全体の中でそのファンクションが位置づけられるべき存在なのです」
平田オリザ(ひらたおりざ)
1962年東京生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。在学中に劇団「青年団」結成。1995年「東京ノート」で第39回岸田國士戯曲賞受賞、1998年「月の岬」で第5回読売演劇大賞優秀演出家賞・最優秀作品賞受賞、2003年「その河をこえて、五月」で、第2回朝日舞台芸術賞グランプリ受賞など、現代演劇界を代表する劇作家・演出家として活躍。国際的活動でも高く評価され、2006年モンブラン国際文化賞受賞、2011年フランス国文化省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。演劇教育や文化行政にも幅広く携わり、現在、東京藝術大学COI 拠点特任教授、大阪大学COデザインセンター特任教授、城崎国際アートセンター芸術監督などを務める。戯曲以外に「演劇入門」「芸術立国論」「わかりあえないことから」など著書多数。