62号 OPINION 特集【DX:デジタルトランスフォーメーション】

誰もが作り手としてICTに関わることが大学のDX推進の原動力に

 

独立行政法人情報処理推進機構
産業サイバーセキュリティセンター サイバー技術研究室長
ソフトイーサ株式会社 代表取締役
東日本電信電話株式会社 特殊局員
筑波大学 産学連携教授
登 大遊

 

DXへの関心が世界的に高まる中、日本の取組は諸外国の後塵を拝していると言われる。
では、わが国のICT(情報通信技術)を先導するイノベーターの目に、その現状や課題はどのように映っているのだろうか。

大学発ベンチャー起業家であり、コロナ禍の在宅勤務を支える画期的なテレワークシステムの開発者としても脚光を浴びている「天才プログラマー」登大遊氏に、自身とデジタル技術の関わりを振り返りながら、これからの日本の DX推進のポイントや国立大学に求められる姿勢と取組、さらにDX時代における大学ベンチャーへの期待まで幅広く語ってもらった。

「遊び」の要素と、自ら作る姿勢がより大きな成果を生み出す

コロナ禍による緊急事態宣言が発令される中、急遽、在宅勤務を強いられた人々に救いの手を差し伸べたのが、無料・ 無登録で簡単に利用できる「シン・テレワークシステム」だ。自宅にいながら勤め先のPC環境を安全に使えるこのシステムは、2020年4月のリリースから現在(2021年11月11日時点)に至るまでに、20万人近くが利用するまでに普及が進んだ。

このシステムを構想からたった2週間で作り上げたのが、「天才プログラマー」としてICT業界に名を馳せている登大遊(のぼり だいゆう)氏である。
現在、わが国のサイバーセキュリティ対策の中核拠点である独立行政法人情報処理推進機構(IPA)でサイバー技術研究室長の重責を担うほか、東日本電信電話株式会社(NTT東日本)特殊局員、筑波大学産学連携教授、さらにICTベンチャー起業家の顔も持つ、まさに時代を代表するICTイノベーターの一人だ。

DXとは単なるICTの活用ではなく、デジタルによる既存サービスやビジネスモデルの変容とされる。このDXを早くから実践してきた登氏のデジタルテクノロジーとの出会いや関わりについて、まずは時を遡って紹介しておこう。

「最初にコンピュータに興味を持ったのは小学3年生のとき。近所の人から不要になったパソコンを譲り受け、遊びながらプログラミングを覚えていきました。より本格的にプログラミングにのめりこんだのは小学5年で学校に導入されたWindows95※マシンを使うようになってから。マウスやグラフィックユーザインターフェースに触れ、コンピュータの面白さに夢中になりました。その後、進んだ中高一貫校では、先輩のお下がりのハードやソフトをパソコンクラブで使うことができ、知識と技術を磨きました。それらは学校の正規の教材や設備ではありませんでしたが、これを好きなように好きなだけ使うことで、コンピュータスキルは飛躍的に高まりました」

この中学時代には、母校の職員室のLAN環境を構築するという貴重な経験もしている。
「職員室でPC1台ごとにNTTのISDN回線が1本ずつ引かれているのを見て『なんてもったいないんだろう』と思い、自分たちでLANを組むことを提案しました。電気街で部品を買い集めて自力でLANケーブルを敷き、回線を1本に集約したところ、通信費も工事費も大きく節約できとても喜ばれました。プロに任せるのが当たり前だと思われていることも、自分たちで挑戦すれば、より良くなる可能性があることを肌で学べました」

こうした若いころの数々の経験は、エンジニアとしての登氏に様々な教訓や信念をもたらした。まず、能力を高めるには、学校や業者が用意する「公認」以外のモノ、氏の言葉を借りれば「インチキな」モノに触れるのが重要であること。また、他人任せにせず、自らが作る側として関わっていくことの大切さも胸に刻んだ。そしてこれらは、大学がDXを目指していくうえでも大切な心構えになることを登氏は強調する。

「DXとは今までにない新しい価値を生み出す行為ですから、既存・既知のことを真面目に学習するだけでは実現できません。良い意味での『遊び』の要素や『いたずら心』が欠かせないのです。ですから大学の人間は、単にユーザとしてICTに関わるだけでなく、創造者にもならなくては。教職員や学生が自ら考え、面白さを感じながら作っていくほうが、結局は低コスト、低リスクで大きな成果を得られるのです」

研究者、起業家、プログラマー、大学教授と多様な顔を持つ登氏。活動舞台の一つであるIPAでは、サイバー攻撃情報の調査・分析のほかセキュリティ人材の育成にも力を注ぐ。

大学のDX推進の鍵を握るのは構成員全員がICTスキルを高めること

登氏は現在、母校である筑波大学の産学連携教授でもあるが、この大学の大きな魅力の一つは自由な研究環境があることだと言う。

「筑波大学の特徴は、他の大学と比較して学生の禁止事項などがいちいち明文化されている点で、『インチキな』学生は、つまりそれ以外のことなら自由に試行錯誤して良いのだなと思うわけです。私も大学1年のときに、学内の履修・成績管理システムの中身に興味を持っていろいろ調べさせてもらいました。ルールや運用がけしからんと思う学生も多くいたので。その結果、大変面白いセキュリティ上の問題を見つけ、数年後の改善につながりました。これも先ほど話した『遊び』の取組がICTの改善やデジタルスキルの向上につながる一例と言えるでしょう。実際、私はこの経験を通じてVPN (Virtual Private Network)とデータベースに関する深い知識を、楽しみながら身につけることができました」

その後、登氏はVPNソフトウェアを扱う会社を在学中に起ち上げ、現在、代表取締役を務めている。まさにDXのフロントランナーとでも言うべき存在であるが、本人いわく日本の国立大学は早い時期からDXに取り組んでいるほうで、ICTに関して決して遅れをとっているわけではないとのこと。特に学籍簿や成績の管理などには早くから大型コンピュータを利用し、90年代にはPCサーバ、その後3階層クライアントサーバシステムを導入するなど、その取組は多くの民間企業に先駆けるものだと言う。

しかし、その一方で最近の学内ネットワークの実状については強い不満を訴える。
「大学内のコンピュータネットワークの本来の目的は、最先端ICTを研究し、それを進化・発展させていくことにあります。しかし、同じネットワークをICTユーザ業務でも使おうとする人たちが増え、いつの間にか本来の目的を失い、安定性ばかり追求されるように変わってしまいました。厳しいセキュリティルールが課され、単なるICTユーザではなく、ICTそのものを進化させる任務を負った学生や研究者が自由にいじれなくなったのです。これは大学の存在意義から見ると本末転倒で、優秀なICT人材は育ちませんし、イノベーションの創出も望めません」

インターネットに直結して独自のポリシーを運用できる単位として、個別の管理主体が運用する独立ネットワークを「自律システム(AS、BGP)」と呼ぶ。日本の多くの大学は昔から自律システムを持ってきたが、最近は教職員が自律管理を諦め、保守・運用を外部業者に丸投げしてしまっているケースが多い。これでは自律システムの意味がないと言う。

「大学がセキュリティを維持しながらDXを推進するために必要なのは、構成員全員がリテラシーを高めることです。業者に任せるのではなく、全員が自ら少しずつ対処能力を上げていけば、ちょっとくらい妙なウイルスが来ても慌てずに済みます。この基礎体力をつけるためには、大学のユーザ自身がネットワークの構築者・管理者になり、試作でサーバなどを動かして楽しむのが一番の方法で、米国ではこの方式で大学を中心にインターネットやセキュリティが発達してきました。作り手になって実際に攻撃を受けてみれば、セキュリティのポイントが分かり、結果的にその大学のリスク対処能力は高まるはず。DX推進の基盤強化にもつながります」

体制、ルール、ガバナンスを整備して日本のDX研究の活性化を

独立行政法人や自らが起ち上げたベンチャー企業、大手通信会社、国立大学と様々な組織に身を置いてICTの最先端に関わる登氏は、日本の企業や大学がDXを進めていく際のポイントを三つ上げる。

一つは研究者が面白いと思うこと、好奇心の赴くことを、自由に研究できる体制を整えること。とは言え、無制限に研究者の遊びを許すわけではない。「研究の自由とセットで必要なのが『説教』をする人の存在です。過去にネットワークやサイバーセキュリティの分野で『ホワイトハッカー』として活躍していた人たちのことで、日本には企業にも大学にもこうした人材がたくさんいます。ネットワークやセキュリティに関する本質的な知識やバランス感覚を有する彼らが、若い研究者の取組を見守り、必要に応じて厳しく意見したり、ダメ出しをしたりする体制を作ることが大切です」

二つ目のポイントは、セキュリティに関する新しいルール作り。近年、情報セキュリティの重要性が高まるにつれ、日本の多くの組織では一般的なネットワークユーザを基準に考えられたセキュリティルールが導入されている。急いでルールを作らないといけなかったので、大学でもこれだけを雛形にしたルールを設けているところが多い。しかし、これがDX推進の阻害要因になっていることは否めない。

「こうしたルールは一般ユーザしかいない情報システム的なネットワークを管理するためのものであり、新しい価値を創り出そうとする人のことは考慮されていません。前例のないことに挑戦する人のモチベーションを高めていくためには、ICT創造者のための分離されたルールと環境が必要です」と訴える。

そして登氏が三つ目に上げるのがガバナンスの見直しだ。多くの組織においてガバナンスの要諦とは、管理者が構成員から活動に関する報告や説明を受け、正確・精密に把握することだと考えられているが、ここに落とし穴がある。

「コンピュータの世界で新しいことを創造する際は、多数の高度な抽象化物をつなぎ合わせる非常に複雑で難しい作業が必要です。それを頻繁に分かりやすく説明しようとすることは、困難なだけでなく大変危険な行為なのです。言葉にしようとした途端に頭脳の思考要素が崩壊・消滅しかねません。一番良いのは、頭の中が良い状態を保っているうちに一気にシステムを構築し、完成後にドキュメントをまとめるという手順で進めることです」
研究者のアイデアが形になるまで放っておくことは現実的には厳しいと思われるが、ここでも登氏は、適切に「説教できる人」を管理者とすれば問題は解決すると言う。

安定したインフラストラクチャーとして大学が研究を支えていくことが大切

現代のICTをリードしている米国の巨大企業は、大学発のベンチャーとしてスタートした例も多い。大学発ベンチャーの育成・創出は、日本の大きな課題であり、それをDXの推進と切り離して考えることはできない。では、実際に学生が起業しようとするときにポイントとなるのはどのようなことか。

「まず、潜在的なユーザが確実に存在することを確信できることが起業の第一条件です。始めてみないと分からないというのであればやらない方が良いでしょう。さらに起業というのは、人間が知能を駆使して行う活動の中で最も高度な部類のもの。優れたアイデアや技術力はもちろん、多発するトラブルに同時対応する能力や面倒なルーチンワークをこなす能力も必要です。我々はそれを『苦行』と呼んでいますが(笑)、それでも挑戦したいという頼もしい『もの好き』がどんどん出てくることを期待しています」

そう若い学生にエールを送る登氏。自身が大学在学中に起業して以来17年間、着実に事業を発展させてきた基盤には、会社の目的・使命についての明確な考えがある。

「日本でこれから重要なのは、システムソフトウェアと呼ばれる領域、船で言う船体部分を造る能力を獲得することです。船体の上では、多数の客室やレストラン、娯楽室などにあたる様々なアプリケーションが自由に動きます。船体は土台ですから表に出ませんし、アプリケーションにも口出ししません。Windows ※、AWS ※、Google ※の基盤などが良い例です。船体の開発には莫大な技術の蓄積が必要ですが、ここをやらない限り日本のICTは強くならない。だからこそやる価値は大きいのです。私が開発した『シン・テレワークシステム』も同じ考えに基づくもの。アプリケーションには一切干渉しない土台として構築しました」

このようにバックヤードに徹する一貫した姿勢は、実は大学という組織のあり方にも通じると登氏は続ける。

「大学は、そこに所属する研究者や学生がどのような活動をしても揺るがない安定したインフラストラクチャーであるべきです。余計な口出しや計画主義などをせず、各々の優秀な研究者が熱心に行っている活動を放っておくことが極めて重要であり、それを貫けば、大学は長く存在価値を保っていけるはずです」

IPA 産業サイバーセキュリティセンター内のサイバー技術研究室にて。床上で絡み合う無数のケーブルは、その1 本1 本がサイバー攻撃情報の分析などを行うシステムの大切な「動脈」。
この部屋には氏が開発した「シン・テレワークシステム」や「自治体テレワークシステム(LGWAN)」のサーバなども置かれている。

国立大学ならではの多様性がDX推進のアドバンテージに

登氏が語るとおり大学の本来の姿とは、様々な学問研究を支える自由でオープンな場であるべきなのは言うまでもない。しかし、コロナ禍により、研究者や学生の活動は多くの制約を受けることとなり、いつ以前と同じ状態に戻るのか未だ分からない。この状況をどのように乗り越えていけばいいのか。

「コロナ禍の制約は、新しいことを思いつくために必ずしもマイナスではなく、むしろ有益な面もあるのではないでしょうか。私が昔大学でVPNソフトウェアの開発に打ち込めたのも、無線LANのけしからんファイアウォールの制限をどうにかして突破したいという思いに駆られたからです」と明かす。

困難を成長の糧とする前向きな姿勢を持つことが肝心なのだ。

さらに氏は、国立大学ならではの恵まれた環境に身を置いている強みを存分に生かしてもらいたいと、次代のDXを担う若い学生たちにアドバイスを送る。

「国立大学では、経済、政治、法律、哲学、数学、工学、物理、生物、芸術など多様な分野のヒトやコトに出会うことができ、興味があれば学ぶことも可能です。自分の専門を10割やるより、7割くらい専門外のことをやったほうが絶対にプラスになる。一見無関係に見える様々な要素の形状は、実はコンピュータ技術と同じ構造を持っていることが多く、新たな技術進歩はこれらの異なる分野の概念をICTの概念に接続することで生まれます。多くの時間がある学生時代に、ぜひ戦略を立ててたくさんのことを吸収してほしいと思います」

登 大遊(のぼり だいゆう)
1984 年兵庫県生まれ。

筑波大学第三学群情報学類卒業、同大学大学院システム情報工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。大学入学時に独立行政法人情報処理推進機構(IPA)の「未踏ソフトウェア創造事業(未踏ユース部門)」に採択されたフリーソフトウェア「SoftEther VPN」を開発し、天才プログラマー/スーパークリエータ認定を受ける。2020年、「シン・テレワークシステム」を開発。総務省「サイバーセキュリティに関する総務大臣奨励賞」ほか受賞多数。現在、IPA 産業サイバーセキュリティセンターサイバー技術研究室長、ソフトイーサ株式会社代表取締役、東日本電信電話株式会社特殊局員、筑波大学産学連携教授を務める。

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※写真撮影時のみマスクをはずしています。