59号 特集【ニューノーマルに向けて動き出す大学】 LEADER’S MESSAGE ~学長特別座談会~

連携と協調を力に ニューノーマル時代の社会づくりへの貢献を

 

東京外国語大学長
林 佳世子(司会進行)

東京藝術大学長
澤 和樹

帯広畜産大学長
奥田 潔

筑波技術大学長
石原保志

 

未だ収束のシナリオが見えないコロナ禍に適切に対応しつつ、ニューノーマル時代に向けた社会の諸課題の解決に取り組んでいくことは、大学の重要な使命である。
全国 86 校の国立大学が、パンデミック後の新しい社会構築に貢献するためには、持てる知と人材をどのように結集し活用していくべきか。
特色ある学問を追究している 4 つの大学の学長が、それぞれの専門分野におけるコロナ禍への対応を踏まえつつ、これからの国立大学の協働のあり方や人材育成などについて語り合った座談会の様子を、今号のLeader’s Messageとしてお伝えする。

取材会場の東京藝術大学Arts & Science LABの球形ホールと登壇者4名
会場は、遠隔でのコンサートやパフォーマンス配信などにも対応する東京藝術大学「Arts & Science LAB.」の球形ホール。
COI 拠点として、「感動」を創造する芸術と科学技術による共感覚イノベーションをテーマに研究開発を行っている場所でもある。
当日の背景は、球形スクリーンに映し出されたバベルの塔。恐れ知らずの人類への戒めとされるその故事は、経済や科学の発展を目指し突き進んできた現代社会に新型コロナウイルスが与えた教訓と通じるものがあるように思える。

対面を重視する教育へのコロナ禍の影響は大きい

林:本日、出席の4名が学長を務める大学は、それぞれ専門に特化した研究・教育を行っていますが、各分野では今回のコロナ禍で、どのような変化や課題が生じたのでしょうか。特に芸術分野や障害者支援分野への影響は大きいと想像するのですが。澤先生いかがですか。

澤:芸術分野については、多人数が集まるリスクを避けるということで、昨年2月に政府からの要請もあり、演奏会などのイベントは次々に中止・延期が決まり、美術館や博物館などの多くがクローズとなりました。私自身もヴァイオリン奏者としての演奏活動は、半年以上できませんでした。4月の緊急事態宣言以降、世の中の様々な仕事が苦境に立たされ、売り上げ7~8割減などと言われていますが、芸術分野に関しては、ほぼ100%なくなってしまったといっても過言ではありません。

奥田:私も以前から学生に対して、自分の専門領域の勉学に励むだけではなく、音楽会や美術館に足を運んで優れた芸術に触れるよう勧めてきたのですが、それも言えなくなりました。人間性の涵養をはじめ学生の教育への影響も大きいですね。

澤:もちろんです。皆さんの大学でも同じだと思いますが、授業をどのように進めていくかについては大変苦労しました。まず、5月になってから、オンラインで開始しましたが、やはり芸術系大学は、音楽の個人レッスンや美術作品の制作指導など、対面でなければ難しいことが多いです。東京藝術大学では、卒業年度の学生や演奏試験がある学生など緊急性を要する学生に限って、念入りな感染対策を施したうえで6月からは実技系の対面
授業を再開しました。

林:なるほど。大学で教育と並ぶ柱が研究ですが、芸術系大学の研究には、どのような影響がありましたか。

澤:東京藝術大学の教員にとっては、演奏活動や作家としての創作活動ということになりますが、これも半年くらいほとんど活動できない状態が続き、オンラインでの配信などを工夫しながら行ってきました。満足できる結果とまではいきませんが、逆にこの機会をある意味チャンスとして前向きに捉えて。例えば普通なら200人しか入れない演奏会でも、オンラインであれば人数に制限はなく、世界中の人に音楽を届けることも可能です。音質や臨場感などの課題はありますが、それは今後の技術的な発展に期待するとして、今まで以上に多くの人に聴いてもらえることが一つのモチベーションになっています。

社会が非接触 · 分断の方向に進んでいることが問題

石原:私の専門である障害学や特別支援教育の立場からは、ミクロのレベルで言うと、コロナ禍で対面によるコミュニケーションや接触がしにくくなっていることの弊害が大きいです。報道でも取り上げられましたが、少し前に、ある視覚障害者の方が駅のホームから落ちて亡くなる痛ましい事故がありました。実はこの方にとっては通い慣れた場所で、普通だったら危ないときは周囲が手を差し伸べたりすることが自然に行われていたのです。しかし、今は咄嗟の手助けもしにくい状況であり、このことが事故の背景にあると想像できます。視覚障害者は他人の肩や手を借りて移動する介助が難しくなっていますし、聴覚障害者は、相手の口元を見て話の文脈を理解する「読話」が、マスクで口元が見えないため不可能になっています。そのほか、身体に触れないと必要な介護を受けられない方に対して、十分な介護が行えているのかも大いに気になります。

林:確かに切実な問題ですね。

石原:ええ。一方、マクロの視点で見ると、これまで世の中はインクルーシブな社会、共生社会、ダイバーシティという方向を目指して、マイノリティの方も含めて皆が融合し、共に幸せになっていこうという流れがありました。SDGsもそうですね。それがコロナ
禍で個人間の接触が絶たれ、融合よりもむしろ分断の方向に進んでいる。これは非常に重い問題です。

澤:その分断が、特に社会的弱者に深刻な影響を与えていると。

石原:そのとおりです。ただ、プラスに作用していることもなくはありません。先ほど芸術分野におけるリモート演奏会のメリットの話が出ましたが、私の専門分野でも、例えば聴覚障害者にとっては対面コミュニケーションよりもテレビ会議の方が、手話の動きが見やすいとか、マスクをする必要がないから口元が見えて話を理解しやすいといったメリットがあります。また、これまで私はインクルーシブ教育の一つとして、離島や僻地にいる障害を持つ子どもがテレビ会議システムを利用して勉強する方法を研究してきたのですが、その成果が図らずも生かされることになりました。また、今回のコロナ禍で多くの人がオンライン会議やリモート授業を体験し、その中で映像や音声が不鮮明だったり途切れるなどの問題にも遭遇したはずです。実はこうした不自由さは、障害者が日常的に感じていることにも通じます。そういった意味で、人々がコミュニケーションについて考えを深め、ひいては障害者理解にもつながればいいですね。

農学が対象とする“ 食 ” が変化してきている

奥田:私の大学は、畜産科学、獣医学を核とする農学系単科大学であり、「食を支え、くらしを守る」をミッションに掲げています。すなわち、“Farm to Table” のすべてを対象としているわけですが、そのうちコロナ禍の影響が最も強く出ているのが、外食産業に関わる領域ではないかと思います。具体的に言うと、第一次産業では今、ほうれん草やレタスなど葉物野菜の市場価格が低くなっていますが、これは豊作だからという理由のほかに、コロナ禍で外食産業が落ち込んで需要が減っているのが大きな要因です。また、第二次産業では外食向けの農産物の加工が減っており、第三次産業では食品の流通業界も深刻なダメージを受けています。農畜産業の枠にとどまらず、食に関わる幅広い業種が、厳しい局面に立たされていると言えます。

林:こうした問題に対して農学研究はどのように対応していくのでしょうか。

奥田:多くの人が外食を控えるということは、自分で食材を買って家庭で料理を作るスタイルにシフトしていくことを意味します。そのとき人々が最も重視するのは、安全な食かどうかということでしょう。外食をするときのような、店の好みなどの要素は食選びに関係なくなるので。さらに、これからはインターネットで食品を購入する消費者も増えますから、安心を保証する食や付加価値の高い食へのニーズは高まっていくはず。ですから農学分野では、より安全な食品や優れた機能を持つ食品を開発したり、安全に届けたりする方法を研究する取り組みが、これまで以上に活発になると考えています。

林:私も一消費者として、野菜などを直接インターネットで買うことが増えました。こうした流れが農学にも影響を与えているんですね。具体的にはどのような取り組みが進みますか。

奥田:例えば有機農法の革新ですとか、土の中の微生物の管理・活用などが代表例です。さらに、現時点の安心だけでなく、自分たちの未来にもやさしい食ということで考えれば、環境への負荷の低減を考慮した生産技術や、バイオエネルギー利用技術の開発、それにアニマルウェルフェアの向上をめざす研究なども加速するでしょう。まあ、これらはコロナ禍以前からの動きではありますが。

澤:なるほど。ところで私は芸術教育では対面授業が必須であると強調しましたが、実学系の学問である農畜産・獣医系も同じではないですか。

奥田:そのとおりです。私の大学でも実験・実習に非常に重きを置いています。しかし、感染の拡大当初は、教員が作成した動画を利用しての授業に代替せざるを得なくなりました。それなりに成果もありましたが、やはり対面教育をゼロにはできませんから、夏以降、オンラインと対面のハイブリッド型に徐々に移行していますね。

歴史に学ぶことの重要性を改めて認識した

林:東京外国語大学は、外国語の教育・研究とともに、地域研究に力を入れています。この地域研究の中で、私自身が専門とする歴史学の立場から今回のコロナ禍を通じて改めて学んだことは、感染症との闘いは人類の歴史の重要な一部であるということです。人類はこれまでに多くのパンデミックと闘ってきて、直近の例では第一次大戦中に全世界で猛威を振るったスペイン風邪があります。それから100年が経ち、科学技術がどんどん進歩して、世の中は人類の思うままになるだろうと誤解されてきましたが、やはり我々は自然の一部なんだ、自然とうまくやっていかなくてはいけないんだと気づかされました。歴史は繰り返すと認識すること、歴史を長期スパンで考えること、そしてグローバルな文脈の中で捉えるということ。こうした歴史学の最近の潮流を踏まえて世界を見ることの意義は大きいのです。過去に学ぶことばかりが必ずしも正しいとは限りませんが、少なくとも歴史に学んで準備することは大切ですね。

石原:スペイン風邪の病死者が、第一次世界大戦の戦死者より多かった、という事実も広く知られるようになりましたね。コロナ禍が歴史的な知識を高めたと言えるかもしれません。

澤:20世紀から人類は効率主義や営利目的の方向に突っ走ってきたけれど、一度立ち止まって考えるべき教訓があるように思います。

林:今回のコロナ禍で地域研究の素材になるような現象もたくさん出てきました。それまでグローバル化に突き進むと思っていたところで、突然、国家が国民を守るという体制が前面に現れましたし、国境の見方が変わり、国民の流れをコントロールするのは国家であるということもはっきりしました。

石原:コロナ禍以前から自国ファーストの動きが米英を中心に始まっていましたが、それが一気に拡大しましたね。

林:自国第一主義のもと、国民の動きをうまく舵取りできる指導者がいるかどうかで、国の命運が変わることにもなってきました。皮肉なことに、そうしないと国民を守れない、自由な国の方がかえって感染が広がるということが現実に起きています。逆に言えば、コロナ禍によって、社会的、文化的な背景のようなものがあぶり出されたようにも思います。コロナ禍は直接的には自然の災厄ではあるけれど、社会保障の不備・不足や貧富の差、教育の混乱など、人間側にも問題があることは明らかです。現在のパンデミックが収束した後には、このコロナ禍の時代を扱う際立った研究が出てくると予想しています。

澤:歴史を振り返ると、日本では奈良時代に天然痘の大流行があって大仏が建立され、その後、天平文化が花開いたり、ヨーロッパでは中世のペストの後にルネッサンスが起こるなど、大きな芸術的変革につながった事実がありますね。これは偶然ではないでしょう。

林:パンデミックは人間が生きることを考える契機になりますし、芸術的なインスピレーションにつながるのかもしれませんね。

澤:そう思います。そして新しい時代の芸術創造の一番の担い手が、若手の芸術家なのですが、今は彼らの活躍の場が失われてしまっているのが本当に残念でなりません。私の大学にも、芸術家、音楽家になることをあきらめると言い始めた学生が少なからずいます。こうした「コロナ世代」と呼ばれるであろう若者を支援していくことは、大学にとって重要な責務ですね。

様々に広がる専門分野の連携 · 協働の可能性

林:難題は山ほどありますが、前号で国大協会長の永田先生が語っていたとおり、多様な分野を擁する全国 86 校の国立大学が総力を結集すれば、コロナ禍の課題解決に様々な形で貢献していけるはずです。我々4名の大学は、いずれも特色ある専門分野を追究していますが、それぞれの研究や教育活動では、どのような異分野との連携・協働の可能性が考えられますか。

奥田:コロナ禍で安心安全な食への流れが加速している農学分野では、例えば農作物の保存性を高める技術開発などで、工学分野との連携を進めていけるのではと考えています。また、先ほど少し触れたバイオエネルギー開発においても工学の力が不可欠です。現在、帯広畜産大学は、小樽商科大学、北見工業大学との3大学経営統合を進めていますが、この新体制も連携推進の起爆剤になるのは間違いありません。また、教育面においては、対面実習ができない状況に備えて、より優れたデジタル教材の必要性が高まっていきます。その際、ICT分野はもちろん、バーチャルな技術の導入で先行している医学分野との協力や、よりリアルな表現を求めて芸術分野とコラボレーションすることなども考えられます。

石原:確かにどのような分野も、ICTや情報メディア分野との協働は、多くの成果が期待できると思いますね。障害者教育・支援の分野では、より優れたテレビ会議システムやオンライン授業システムが開発されれば多くの恩恵がもたらされるでしょう。例えば家から出られない人、移動が困難な人たちが、本当にその場にいるような臨場感を味わえるシステムが実現できればいいですね。今まで社会に参加できなかった人が、積極的に社会進出して活躍することをサポートしてくれるような。

澤:東京藝術大学でもICT技術を活用して、主に座学系の授業のオンライン化を進めていますが、特にオンデマンドのものは、いつでも、どこでも、何度でも見直せるので、学生にとても評判が良いですね。また、これは奥田先生のおっしゃる安心な食にも通じる話だと思うのですが、モーツァルトの音楽を聴かせた乳牛は良い乳が出るとか、肉牛はおいしい肉が取れるということを良く聞きます。クラシック音楽には、薬品などに頼らず食を改善する効果があるのかもしれません。今後、科学的な研究を行って確かめてみたいと考えているのですが、それには動物を扱う研究分野の協力が要るでしょう。

奥田:面白い話ですね。過去に診療で回った畜産農家でも牛舎に音楽を流して牛をリラックスさせて搾乳するということを行っていましたし、先進的な畜産農家は「カウ・コンフォータブル」な飼育のために、本当にいろいろトライをしています。

林:興味深い例がいくつか出ましたが、我々が幅広く柔軟な視点で、コロナ禍の社会のためにできることを探れば、まだまだ多くの専門分野の融合・協調が考えられると思います。それを真剣に追究していくことは、国立大学の潜在力を生かすことでもありますし、大切なことですね。

大切なのは教養を身につけた人材を育てること

林:コロナ禍が大学が変わっていく大きなきっかけになることは間違いありません。では、教育・人材育成の面では、これからの大学はニューノーマルを見据えて、どのような取り組みに力を入れていけばよいでしょうか。

奥田:これは社会全体で進めていくべき教育につながることだと思うのですが、今回のコロナ禍では、感染症に対する都市と地方の意識の違いと、そこから生じる差別の問題を痛感しています。私の大学がある北海道では、東京など道外の大都会に行くことと、そこから来た人を受け入れることに対する抵抗感が非常に強く、学生の6~7割を占める本州出身の学生の多くは、それを気にして里帰りを控えています。

石原:私の大学も全国から来た多くの学生が寮で暮らしていますが、同じ問題を抱えていますね。

林:それと共通する構造は東京の中にもあります。東京外国語大学は海外からの留学生が多いのですが、外国の人は危険というイメージを地域で持たれたようで、具体的には幼稚園の散歩コースが大学付近を避けるルートに変更されたりしました。国立大学も周辺の社会との連関がある以上、向き合わなくてはいけない難しい問題だと思いますが。

石原:新型コロナウイルスに感染した人や、感染拡大地域の人を隔離したり差別したりする現象は、世界中で起きています。そして、これは障害者の多くが今まで体験してきたことと通底している部分があると感じます。こうした差別意識は経済の発展と歩調を合わせていて、人々の暮らしが豊かになってくると、世の中はマイノリティの人たちを見捨てない方向に動きます。今は社会がその逆を向いていますね。また、差別というのは情報が正確に入ってこない、曲解されてしまうというところにも起因しますが、現代社会では、間違った情報もインターネットで瞬時に拡散してしまいます。では、どうすれば差別を防げるかというと、やはり教養を育てるということに尽きるのではないでしょうか。単に学歴や偏差値の高さではない本物の知恵を身につけることがポイントだと思います。

林:同感ですね。正しい情報を見分けられる力、それを共有する力、これを個人が身につけることしか解決策は無いように思います。コロナ禍が始まった当初、留学で欧米などにいる日本人の学生が、アジア人ということで無理やり病院に連れて行かれたり、喫茶店に
入れてもらえなかったという事例をたくさん聞きました。こうした経験を通じて、生まれて初めて差別される当事者の気持ちを学んだという学生が多くいたようです。正しい情報を取捨選択して共有するためには、教養を育てる教育により力を入れて取り組むべきですね。

連携によるシナジーを、新しい時代の課題解決に生かしたい

澤:芸術に携わる者として、教養と同じように感性や感受性を育てることの重要性も強調したいですね。現代社会は、人のやさしさや思いやりを損ねている部分がたくさんあると感じます。コロナ差別のような問題を乗り越え、人の根源的なやさしさを呼び覚ます力が、素晴らしい芸術にはあると私は信じています。最近、私はあるテレビ局の依頼で地域の人々のためのコンサート番組に出演しました。そこで誰もが知っている「ふるさと」や「荒城の月」といった東京音楽学校(東京藝術大学音楽学部の前身)の大先輩が作った曲を演奏したところ大好評でした。人のやさしさや思いやりの心に訴える芸術の力は、世の中の人も感じているはずです。

石原:経済的なことだけでなく、芸術も人の心を豊かにしますし、歴史や科学を学んで教養を重ねていくことでも豊かな人間性は育まれるでしょう。そのような教養ある人間により構成されるコミュニティ同士が共同活動をして、豊かな社会を創造することと、自由で活力あるグローバル社会を構築していくことは両立可能だと考えます。また、これからの時代を担う若者にとって特に大切なことは、今回のコロナ禍のような予想できない事態や社会の変化に備えて、一人ひとりが自分のオプションを持つこと。それはすなわち予期せぬ課題に対応していけるよう、複数の解決手段を学ぶということです。そのためには大学側も、より多様なカリキュラムから自由に選べるようにするなど、学生自身が自分の意思で身につけるものを決められる仕組みを用意する必要があります。さらに、この意思決定を適切に行うためには、心理発達を促すことも重要になってくると思います。これをしっかり大学で訓練できれば、ニューノーマル時代の社会への対応力を高めていけるのではないでしょうか。

奥田:学生が様々な変化に対応できるよう学びやキャリアの選択肢を増やすためにも、大学間の連携はこれからますます重要になるでしょう。それも、従来からの授業の相互履修のレベルを超えた、より柔軟なシステムが必要だと思います。私たちが進めている3大学経営統合では、単なる単位互換ではなく、卒業論文を出した大学で卒業できるシステムを導入しようと計画しています。これは入学した大学と卒業する大学が違っていようが、卒業までに何年かかろうが構わないという自由度の高いもの。大学設置基準や法改正などクリアすべき課題はいくつかありますが、これからの大学連携に新たな可能性を提示する先駆けとして、ぜひ実現させたいと思っています。

林:豊かな教養と人間性、そしてそれを基盤とする対応力や意思決定力を身につけた人材を育てていくことが、これからの国立大学の重要な使命であることを強く感じます。そして、それを実現するためには、全国 86 校の国立大学が一層つながりを深め、プログラムの多様化や共有化などを積極的に推進すること、さらに、研究においても積極的に異分野との協働を進め、ニューノーマルな社会の諸課題の解決に新しい視点・アプローチで取り組んでいくことが大切であるということですね。国立大学が方向性を共有し、連携によるシナジーを発揮すれば可能性は様々に広がることを、本日の座談会を通じて確認できました。

東京外国語大学長

林 佳世子(はやし かよこ)
1981年お茶の水女子大学文教育学部卒業。1984年同大学大学院人文科学研究科東洋史学専攻修士課程修了。東京大学大学院人文科学研究科東洋史学専攻博士課程退学。東京大学東洋文化研究所助手、東京外国語大学外国語学部教授、同総合国際学研究院(言語文化部門・文化研究系)教授等を経て、2019年東京外国語大学長に就任。専門分野は西アジア社会史、オスマン朝史。

澤和樹東京藝術大学長

澤 和樹(さわ かずき)
1979年東京藝術大学大学院音楽研究科器楽専攻(ヴァイオリン)修了。ロン=ティボー、ヴィエニアフスキ、ミュンヘンなどの国際コンクールに入賞。イザイ・メダル、ボルドー音楽祭金メダル受賞など、ヴァイオリニストとして国際的に活躍。1990年澤クヮルテット結成。1996年指揮活動開始。2004年和歌山県文化賞受賞。東京藝術大学副学長、音楽学部長等を経て、2016年東京藝術大学長に就任。英国王立音楽院名誉教授。

奥田潔帯広畜産大学長

奥田 潔(おくだ きよし)
1977年帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒業。1980年同大学大学院畜産学研究科修士課程修了。1982年ミュンヘン大学獣医学部博士課程修了。岡山大学農学部助教授、ミュンヘン工科大学生理学研究所客員教授、岡山大学大学院自然科学研究科教授、ミュンヘン大学獣医学部客員教授、岡山大学農学部長、岡山大学大学院環境生命科学研究科教授等を経て、2016年帯広畜産大学長に就任。岡山大学名誉教授。専門分野は獣医臨床繁殖学、生殖内分泌学。

石原保志筑波技術大学長

石原保志(いしはら やすし)
1987年3月筑波大学大学院修士課程教育研究科障害児教育専攻修了。茨城県立霞ヶ浦聾学校教諭、筑波技術短期大学教育方法開発センター助手、助教授、同大学 障害者高等教育センター助教授、教授、筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター教授、同センター障害者支援研究部長、筑波技術大学副学長等を経て、2019年筑波技術大学長に就任。専門分野は聴覚障害教育学。