59号 OPINION 特集【ニューノーマルに向けて動き出す大学】

ニューノーマルをつくる世代に伝えたい 体感と対話のある学びの面白さ

 

京都大学名誉教授 京都大学前総長
山極壽一

 

ゴリラ研究の第一人者として数々の業績を重ねつつ、2020年9月までの6年間にわたり京都大学総長を務め、学生教育と大学運営に手腕を発揮してきた山極壽一氏。
新型コロナウイルス感染症の拡大により、社会が未だ混迷を続けている今、次代を担う学生や研究者にとって大切なことは何か?
そして、日本の社会、大学教育はどのように変わっていくべきか?
ニューノーマル時代の学びや大学のあり方について、グローバルなフィールドでの豊富な経験を通じて交流や見聞を広げてきた氏に考えを語ってもらった。

“出会う”ことで “気づく”、フィールドでこそ得られる経験

「コロナ禍で最近はすっかり巣ごもりです。大学の総長を辞めたらアフリカに行こうと計画していたのですが、それも諦めました。おかげで本をたくさん読めましたよ」と近況を語る山極氏。

2020年9月に退任した京都大学総長ほか、国立大学協会会長、日本学術会議会長などを歴任。学術・教育界のリーダーとして活躍しつつ、分野を超えた多彩な交流や執筆活動、様々なメディアを通じてのメッセージ発信など、精力的な取り組みを続けている。その氏のキャリアの中心にあるのが、ゴリラ観察を通じて人類の起源を探っていく世界的な霊長類学者としての活動だ。

「新型コロナウイルス感染症の拡大で、学問・教育の世界は多大な影響を被ったけれど、研究者にとって一番厳しいのは、フィールドワークや実験がままならないこと。特に野生のゴリラを相手にしてきた自分には大問題ですね」

コロナ禍により海外への渡航が制限されるということは、現地での観察・調査が欠かせない研究者にとって手足を縛られることに等しい。単に活動の場が奪われるにとどまらず、研究者に必要な素養や能力を育てるうえでも、フィールドに出られない弊害は大きいと言う。

「なぜフィールドに出ることが重要か、外部と交わることが重要かと言うと、人間は“出会う”ことで “ 気づき”を得る生き物だから。人間は他者の反応によって初めて自分を知り、新しい考え方を取り入れることができる。もっと言えば、人間は自分だけでは自分を定義できない生き物なんですよ。これは相手が人でも動植物でも同じ。出会ったときの直観から、互いにいろいろな反応が生まれ、新しい気づきや思いもよらないひらめきを得たりしますね」

さらに山極氏は、研究者が「自分の言葉」で語るためにも、フィールドでの身体的経験が大きな意味を持つと強調する。頭で考えただけのこと、誰かの手で書かれた書物を通じて知ったことからは、本当の議論は生まれない――学生時代に理学部の恩師や先輩たちから叩き込まれたこの考えは、自身の学問に臨む姿勢に大きな影響を与え、現在も変わらぬ大切な教訓になっていると言う。

心躍る方向に、自分が進むべき学問の道がある

学生時代の話が出たところで、山極氏が霊長類学の道に進んだ軌跡を簡単に振り返ってみる。

「原点は子どもの頃の探検家願望かな。ロビンソン・クルーソーや十五少年漂流記などが大好きで、いつか自分も未知の世界を探りたいと思っていました。その後、高校では、人間とはなんだ?自分は何者だ? なんてことをいろいろ思い悩んで、結局、進学先は一番好きな数学や物理をやろうと京都大学理学部を選んだ。湯川秀樹博士への憧れもあったし、東京から逃げ出したい気持ちも強かった。ちょうど高校紛争の混乱の最中で、自分が恵まれた環境に身を置くことに、多少の後ろめたさも感じていましたね」

こうして京都大学に進んだ山極氏が夢中になったのは、大学周辺の古書店巡り。宇宙、物理、文学、演劇、哲学など、興味あるあらゆる分野の書物漁りに精を出した。そうするうちに、再び「人間とは?」という根源的疑問が頭をもたげ、「人類学」の自主ゼミに顔を出すようになる。

「ここで理系も文系も超えた文理融合の学問の面白さに目覚めた。理学部や工学部、農学部、文学部など、いろいろな分野の連中と討論して大いに刺激を受けたし、視野も広がりましたね」

その後、所属していたスキー部のトレーニングで訪れた雪山で、思わぬ学問との出会いを果たす。
「雪の中でじっと双眼鏡を覗いている人がいたので話を聞くと、サルを追っている理学部の先輩だった。なぜこんな場所に理学部の人がいるのか、とすぐに興味が湧いた。聞くと、人類の起源や人間社会の成り立ちをサルの観察を通して明らかにする『サル学』を学んでいると言うのです。それは、自然人類学という自然科学の枠に収まらない学問でした。発想が斬新だし面白いと思ったんです。しかもゴリラを対象にすれば、アフリカのジャングルという探険心をくすぐる場所で、学術研究という立派な目的を持って活動できる。そして、京大の霊長類学者で、後に師匠となる伊谷純一郎先生から詳しく話を聞き、先生が書いた『ゴリラとピグミーの森』にも大いに感銘を受けて、これこそ自分が求めていた研究だと心が決まりました」
山極氏はもともと文献学より体を動かす研究をやりたいと思っていた。この点でも、サルの研究は希望にぴったりだった。また、西洋の学問の受け売りではない「日本発」の学問である点にも、大いに興味をそそられた。

「日本の霊長類研究の創始者である今西錦司先生の研究会にも参加して、『言葉を持たないサルにも社会がある』なんて西洋の人類学者が聞いたら目を剥くような話がいっぱい出てきた。それだけでわくわくするでしょう」

コロナ禍で社会に不透明感が広がる中、自分が進むべき学問分野の選択に迷ったり、悩んだりしている若者も多いはずだ。特に今、フィールドワークや人との接触・対面が欠かせない分野を目指すのは不安や躊躇があるかもしれない。しかし、やはり研究者としての道を選ぶ際には、自身の純粋な興味や直観、こだわりに従うことが大切であると山極氏は語る。

失われつつある「社交」を取り戻すことの大切さ

今回のコロナ禍が教育の場にもたらした大きな変化の一つが、オンライン教育の導入だ。山極氏も京都大学の総長として導入を進め、自らも何度かオンライン講義を担当した。

「オンライン教育をうまく使えばメリットはいろいろあります。学生が周囲を気にせず一対一で教員に質問しやすくなるし、今は自動翻訳技術が発達しているので、教員も言葉の壁を気にせず世界に向けて講義ができ、国際会議も楽になる。障がいを抱えた方や仕事を持つ社会人の授業参加にも役立つでしょう」

その一方、オンラインの限界も痛感していると語る。

「劇作家の山崎正和さんが、2003 年に『社交する人間 ホモ・ソシアビリス』という評論を書いています。この中で彼は、社交というのはリズムだと述べてるんですよ。つまり、自分の欲求を抑えながら、他人と適切な距離をとり、その場の物語の流れに身を乗せていくことが社交であると。これは大学のゼミと全く一緒であり、フィールドワークにも通じること。ゼミであればゼミの “ 物語 ” を生み出すために、参加するための心構えが求められるし、部屋や座席の配置、服装など、いろいろな “ 道具立て ” が必要です。でもオンラインは、こうした “ 場 ” を完全に無視している。顔以外、画面に映らなければパジャマでもいいし、背景もなんだって構わないでしょ。いわば根無し草のような状態で会話をしなければいけないわけで、これでは “ 場の物語 ” になかなか乗れませんよ」

実は今回の取材も、コロナ禍の緊急事態宣言下であったため、京都にある山極氏の自宅と東京の国立大学協会の間でオンラインで実施された。山極氏も、こうした遠隔での対話に慣れたとは言え、パソコンの画面とスピーカー越しに情報をやり取りする状況にもどかしさは拭えないと言う。

「先ほどの評論の中で山崎正和さんは、社交を復活させ、身体的な関わり合いを取り戻す重要性を説いている。この主張がなされたのは、ずいぶん前のことだけど、コロナ禍の現在の状況にも当てはまりますよね。やっぱり相手と同じ場を共有して対面している状況は、緊張感があるし、互いの言うことを信じたり疑ったりしながら、リアルな関係を築いている。大学のゼミなどは、相手の表情や雰囲気を読みながら、暗黙知が飛び交い議論が深まっていくものですしね」

さらに山極氏は、こうした社交の場の喪失はコロナ禍だけでなく、技術先行で情報化や効率化が進む現代社会の変化によっても加速されていると指摘する。自分の五感で感じられるもののうち、情報として役立つもの以外は捨象してしまう。そのことが問題だと言うのだ。
「それは生産性向上やコストダウンにつながることであり、まさに資本主義や科学主義が目指すところですが、今回の新型コロナウイルスは、それに対して『ちょっと待て』と言ってるんじゃないか。3 密を避け、他者と思うように会えない現在の状況で皆が感じている閉塞感について、今一度きちんと考えてみたらどうかと。これを続けていくと、我々は外部性というものを全部情報化して、自分たちが処理しやすいよう技術で変えていく方向へ走っていく。それをおかしいと思うなら、やはり我々は外部の世界ともっと和合していかなければいけないでしょうね」

“遊動民” の時代に目指すべき社会のあり方とは

現代社会がコロナ禍で足踏みしている今は、我々がその方向性を見つめ直す機会でもあるという山極氏。これからどのような社会を目指していくべきなのか。

「僕はこれからは “ 遊動民 ” の時代だと考えているんです。空間的にも社会的にも人がもっと大きく柔軟に動くという意味でね。そして、この時代を迎えるにあたっては、社会を二つの面から変えていくことが大切。一つは、個人の所有を減らしもっとシェアを増やしていくこと。人が移動するのだから、必要なものは現地で調達すれば済むし、所有物は少なくて構わないはずでしょう。もう一つは、人間同士がもっと頼り合う社会に変えていくこと。今は自己責任の時代で、他人に迷惑をかけないことが良しとされる風潮になっているけど、これは逆ですよ。人間は本来、互いに迷惑をかけて生きている生き物なんだから、もっと他人に頼る方向にマインドシフトしたほうがいい。だから僕は、これからはシェアとコモンズ、すなわち分かち合いと公共財を増やすべきだと、いろいろな場で言ってます。低成長の時代には、国民の給料は昔のようには上がらず、国も多くの収入を得られない。だったらもっと公共財を作って、福祉国家へと移行していくのも一つの手かも知れない。これからは自分の生き方に合った仕事を求めてもっと柔軟に職場を変えたり、複数の拠点を持ったりする“ 複線型 ” の人生を選ぶ人が増えていくでしょう。みんなが横並びで同じ時期に就職し、同じ初任給をもらい、一生同じ会社で働き続けるというのは時代遅れなんです。このような“複線型”の生き方は、“遊動民”の時代になればどんどん世の中に広がっていく。当然、大学もこうした動きに対応する仕組みを作っていくことが大切でしょうね」

日本の強みを生かしたグローバルな教育戦略を

ニューノーマルに向けて社会を見つめ直していく必要があるように、大学の教育も変化していかなくてはならない。そして、その中心的役割を担うのが、国立大学であると山極氏は明言する。なぜなら国立大学こそコモンズの最たる組織だからだ。

「これから国立大学は、もっと地域に開かれたコミュニティの核になっていくべき。若い学生が安く学べることは当然として、ビジネスに役立つ能力を身につけたい社会人も、どんどん受け入れる。今より多くの地域の人々を引きつけ、つなぎとめる場所、戻ってくる場所になっていくことがポイントですよ」

さらに山極氏は、日本の将来を見据えた国家戦略として、国立大学をもっと有効に生かしていくことが重要であると強調する。

「国立大学協会の会長のときから言ってますが、日本は“教育立国”を全力で目指すべきです。よく日本の小中学生の学力は世界トップレベルなのに大学がランキング上位に入らないのは怠慢ではないか、などと言われますが、とんでもない。あの順位づけを鵜呑みにしてはいけない。決して日本の教育の中身やシステムは悪くないですよ。だから、日本の教育を海外に“輸出”できるよう戦略を練っていくことが必要なんです」

では、日本の高等教育は、具体的にどのような改革を進めていけばいいのだろうか。

「まず、一つは日本で学ぶ留学生をもっと大切にし、その力を生かすことです。彼らは日本という国の良き理解者となり、将来貢献してくれる可能性を持つ、まさに日本の財産となり得る人材。なのに、コロナ禍の対応に追われる中で、彼ら留学生に対するケアやサポートは後回しにされ、今後のこともあまり考えられていない。日本の大学は授業料は安く、教育や研究のレベルは高い。さらに安全・快適に学べる環境が整っていることなど、他国が真似できない魅力がたくさんあります。しかも、今の時代はオンラインで海外に授業を公開して、学びの内容を直接アピールすることもできるんですから」

コロナ禍の今、すぐに外国からの留学生を受け入れるのは難しいが、収束すれば日本で学びたいという留学生はたくさん現れる。その準備を今から進めておくべきだと訴える。

「もう一つ大切なことは、日本人の教員を海外にもっと送り出すこと。これまでもJICAの協力隊員として教員派遣は行われてきましたが、これからは、海外に派遣した日本人教員を通じて優秀な学生が日本に来る仕組みを整えるべき。実際、日本人教員を欲しがる国は、世界中にたくさんありますからね。これらの国と高等教育において Win- Win の関係を築くことが重要です」

全体を見据え、体感と対話を大切にしていこう

ニューノーマルがどのような社会になるのか、今はまだ誰も明言できる状況にない。だが、確実に言えるのは、次代の社会をつくる主役が今の若者たちであるということ。この世代に向けて山極氏は、自身の体験を踏まえた助言を贈る。

「フィールドワークにしても実験やゼミにしても、全体を見据えながら個々の学びをきちんと身体化させていくことが大切。それがスムーズに行われないと頭だけになってしまう。例えば僕の研究では、フィールドでゴリラを観察する作業だけが重要なんじゃなくて、森を歩く楽しさってものを知らなくちゃいけない。それにゴリラのちょっとした行動から何が起こってるのかを一瞬で悟ることも大事だし、ゴリラ以外の動物に気を配る必要もある。僕が森を歩くときのガイドはサルとゴリラです。彼らについて行くといろいろ発見があるんですよ。アフリカの森でゴリラと一緒に歩くと、彼らはゾウが近づいて来るのに必ず気づいて回避します。ちゃんと予測して歩いているわけ。彼らといると自分の直観にも敏感になれるんですよ」

ほかにも我々がゴリラから学べることは多いと語る山極氏。例えば強い力を持つ個体がいても無闇にそれを行使することはなく、常に対等、平和であろうとするのだと言う。すぐに勝ち負けをつけたがる人間社会は見習ったほうが良さそうだ。

「こうしたこともゴリラの群れと肌で接してわかったこと。ただ行動データを集めたいだけだったら、データロガーをつけるだけで終わります。やっぱり、その場っていうものを実感しながら、参加していかないとね。これは、どんな学問でも同じで、ゼミだとしたら、手順や段取り、場の雰囲気を、一人ではなくみんなで感じることが大切。仲間の身振り手振りを見て、言葉を聞きながら身体化しつつ、相手にもそれを感じさせていかないといけません。学びは“ 対話 ” を根幹としている。対話っていうのは別に言葉を交わし合うだけじゃなくて、“みんなでやる”ってことです。結局、それが重要なんですよ」

フィールドワークと対話の達人が語る若い世代へのアドバイス。生きた学問の醍醐味を求める心にきっと響くに違いない。

山極壽一(やまぎわ じゅいち)
霊長類学者・人類学者。1952年東京都生まれ。

1975年京都大学理学部卒、1980年同大学大学院理学研究科博士課程単位取得退学。1987年理学博士(京都大学)。1988年京都大学霊長類研究所助手、2002年同大学大学院理学研究科教授。2014年京都大学総長、2017年国立大学協会会長、同年日本学術会議会長、総合科学技術・イノベーション会議議員等を歴任。2020年京都大学総長を退任し、現在、京都大学名誉教授。